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「不健康で不潔で、道徳的な秩序がない社会の自由さについて」
私は今ニューヨークにいます。ちょうど2か月前に日本から引っ越してきました。アメリカ / ニューヨークは食べ物不健康だし(外食は脂っこいし味付け濃いし、人々は料理せずに冷凍食品をよく食べます)、不潔だし(ゴミの匂い、草の匂い、色んな匂いがするし、ホームレースはそこら中にいるし、メトロはJokerが出てきそうな雰囲気です)、秩序なくカオスな雰囲気だし(住んでいるエリアがハーレムに近いこともあって、ズボンがひざ下まで落ちている人、道中で叫んでいる人、メトロ無賃乗車する人よく見かけます)、日本からくると「なんて低開発な場所だ!」と思います。しかも物価は日本の倍くらい。2倍のお金を払って、こんな低開発な場所に好き好んで住むなんて正気の沙汰ではありません。でも、自由が心地良いのです。
過去にはニカラグア、メキシコ、ペルーに住んだことがあります。また学生時代はバックパッカーをして世界の国々を回り、社会人になったら仕事の関係で多くの国に行きました。その国にいくたびに、ニューヨークと似た印象を持ちます(例外はシンガポールくらいでしょうか)。日本と比べて洗練されていないけど、自由で「生」を感じられるのです。
ニューヨークの自由さ、その対比として日本の不自由さについて考えるとき、熊代亨さんの『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』、『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造』が思いだされました。これらの本で指摘されていたことを思い返しながら、ニューヨークに来て、2か月たって感じたことを言語化しておこうと思います。ちなみに、今の生活における意識の大部分が3歳の娘の子育てにとられているので、子どもに関連した気づきが中心です。
ニューヨーク雑感
1. 子どもに優しい?
ニューヨーカーは子どもに優しい気がします。子どもに微笑んでくれる人が多い気がするし、子連れでスーパーへ行くとレジで子ども用のシールくれたり、レストランではクレヨンと紙を持ってきてくれたり、タダで子どもにジュースくれたりします。これはニューヨークがすごいというより、どちらかという日本での子どもに対する寛容さが異常に低いことで際立っている気がします。日本でベビーカーを持って電車にのると、あからさまに嫌な顔をする人、舌打ちする人、にらみながらベビーカーを小突いてくる人、本当に嫌な経験を何度もしました。日本において子連れを歓迎していると心から感じられた外食はファミレスだけでした。ファミレスは子育てという共通の課題を抱える同士が集まり、一体感を持てる不思議な場所です。
熊代さんの本の中で指摘されているように、日本は道徳的な秩序、人に迷惑をかけないことが個人の自由より優先され、子どもが秩序を守るなんて到底無理なのに、子ども、子連れにまでもそれを強いる社会になってしまい、窮屈になっているという指摘はその通りだと思います。
では、なぜアメリカ人 or ニューヨーカーが個人の自由を大事にするのか、それは建国の精神とか、その根底にある個人主義とか、英語という言語とか(映画『メッセージ (Arrival)』で描かれていたように言語が思考を規定するというのはあると思います。英語、スペイン語、日本語の3か国語を学んだ個人の実感としてそう思います)、説明はいろいろとできるのでしょうが、生活実感として思うのは、特にニューヨークは超多様で、「自由」という以外の共通の価値を持ってくるのは難しいのではないかという点です。町中で色んな外見の人が歩き、色んな言葉が響き、グループによって共通のベースが少ない気がします。ハーレムの路上で怪しげな香水を売る人、チャイナタウンで太極拳をする人、キッパを被った人、こういった多様な人に一定の道徳を振りかざすのは相当難易度が高い気がします。自分だったらできる気がまったくしません。なので「自由」というメタレベルの価値を掲げる必要があり、結果として他人、含む子どもの「自由」に介入することはしない、よく言えば子どもも含む他人の自由を尊重しているのではというのが、浅いアメリカ評です。
2. 冷凍食品
アメリカに来ての大きな変化は、保育園(Preschool)にお弁当を持っていかなくてはならなくなったことです。日本の保育園では毎日給食?お昼ごはんが出ていたので、アメリカに引っ越した大きなチャレンジはお弁当を作ることでした。娘の初めてのお弁当だから、栄養バランスも良く、加工食品は使わず、できれば可愛く、、、と妄想しながらアメリカのお弁当事情を調べてみると、一般的なものは、パンとチーズだけのサンドイッチ、カットフルーツとカット野菜(生そのまま)とかがたくさん出てきました。たまたま娘の同級生のお弁当箱をのぞき見したのですが、タッパーにフライドチキンとポテトが入っているだけでした。
さらにアメリカの一般的な食事について調べてみると、冷凍食品が多いことに気づきます。スーパーに行っても、冷凍食品コーナーは生鮮食品よりも大きく、各国のごはんが冷凍食品として売られています。そして結構美味しいです(マンダリンオレンジチキン、韓国風の焼きおにぎりなどなど)。
今、自分は3食+娘のお弁当をほぼ毎日作っていますが、なんだかんだで2-3時間は毎日料理に使っている気がします。日本の専業主婦も同じくらい使っているようです。ただ、アメリカでは調べてみると平均1時間程度らしいです。もちろん、食材から自分で調理したほうが美味しいし、健康的だとは思います。料理や食事は大事な文化なので、アメリカのほうが良いとはこの点については思いません。ちなみに、アメリカに留学した際のホームステイ先のごはんがひどい(質素で不味い)というのは鉄板ネタのようです。ただ、日本人は料理に時間を使いすぎていて、これが家庭の負担になっているような気がします。料理に時間を使いすぎて、子どもとの時間が少なくなったり、イライラしたら本末転倒なので、このあたりはもっとメリハリをつけていけると良いのではというのが所感です(最近一人飯は冷凍食品多めです)。
3. ナニーさん
娘の保育園が15時に終わるので、その後、ほぼ毎日、妻と交代で娘を公園に連れていくのですが、公園ではナニー(ベビシッター)さんに連れられた子どもが多いです。私がいたラテンアメリカでも、みんなナニーさんを使っていました。ナニーさんも自分の子どもをナニーさんに預けるという不思議な現象も起こっていました。
日本では、ナニーさんはまだ一般的ではありません。金銭的な面もあると思いますが、他人を信頼していないというのが根底にあるように思います。「実の両親、または信頼できる友人以外に子どもを預けると不安」という思いは私もありました。国際比較で日本人が他人への信頼度が低いというのはよく知られている事実です。
日本は世界的にみてトップクラスで「安全」です。都市の犯罪率を見ても明らかです。でも、私が日本にいたとき、他の親もそうだったのではと思いますが、ころばないか、車にぶつからないか、勝手にどこかいかないか、常に子どもを心配していないといけませんでした。客観的に「安全」だけど主観的に「安心」ではありませんでした。でも、アメリカは逆な気がします。その根底には、他者への信頼感の違いがあるような気がします。ところで、先週はじめてナニーさんを活用しました。とても満足しています。
4. 保育園からProblem Solving
3歳の娘は何の間違いか名門保育園に行っています。コロンビア大学の教育大学院内に設置された保育園で、コロンビア大学の博士・修士課程に通う生徒が娘の面倒を見てくれています。なので、一番の驚きは、3歳児からどのような認知・非認知能力を高めるかのゴール設定があり(そのうちの一つがProblem Solving: 問題解決能力でした。私は外資系コンサルいくまでそんな概念を意識したことはありませんでした)、それにそってカリキュラムが設定されています。日本で行っていた保育園は、「保育」が主目的なので、そもそも比較するのは適当じゃないですし、前提として日本の保育園の質はとても高いしめちゃくちゃ感謝していますが、やはり運動会しかり集団行動、秩序を守れる方向にもっていくという考えが通底しているように感じます。他方、娘の幼稚園では、3歳から自分で考え、意見し、行動するようプログラムされているよう感じます。
また、日本の保育園では、朝の体温、便の状態(回数、大きさ、硬さ)、3食何を食べたか、睡眠時間を毎日報告することが課されていましたが、こちらの保育園ではそんなものは一切ありません。何も報告しません。日本で毎日の細かな報告を課されていたのは、その子自身を気にかけているというのはもちろんありますが、他の人に病気をうつさない、迷惑をかけない、もっと言うとそのためにしっかり管理していることを対外的に示すためのアリバイ作りの側面が根っこの部分にあったように感じました。やはり、日本の社会は(よくも悪くも)「家畜化」を推し進めるパワーが、保育園の時から組み込まれていたのだなと改めて感じました。
So What
とまあ、思ったままつらつら書いたわけですが、熊代さんの本でも書かれているように、「家畜化」もいろいろな恩恵があり、他方で人間らしさ、自由も大事で、どのような線引きをするのがいいか、一見トレードオフに見える対立概念をどのように止揚できるか(いいとこどりしつつ、システムとしてバランスさせられるか)が問いだと思うわけです。
この問いを、もっと具体的で身近な問題として置き換えると、日本とアメリカ、どちらに住みたいか、どこまでどのように状況が改善・悪化したら、判断が変わるかと言い換えることができると思います。その観点で、2か月ニューヨークに住んだ上での初期的な答えは、日本は、もっと自律的に考えることを促すように教育システムが変わって、多くの人が自由に考えるようになれば、その結果として秩序が悪化したとしても、より魅力的な社会になるかなと思います。他方、アメリカは、物理的な暴力が自分のまわりでリアルに感じられるようになったら、どんなに他の点が魅力的でも住みたいと思わないかなと思います。
まあ、こう書いてみると、どの社会も、少しずつ改善していこう、あんまり大風呂敷ひろげて、自由 vs 家畜化の論争をしても空中戦になりそうな気がしてきました。要は改善のスピードが大事なのかなと。改善のスピードをあげるためには、改善の前提となる気づきを得て課題設定をするという観点で、「越境」=いろんな価値観の世界を行き来する人の総量が増えるのが大事だとは改めて感じました。結論、やっぱりニューヨークに来て良かったなというのが引っ越しして2か月の感想です。