ニューヨーク名門保育園の驚くべき内情(後編)
前編(リンク)では、ニューヨーク名門保育園に日々通う中で感じた保護者目線での驚きポイントをまとめましたが、後編では「なぜそのような驚くべき保育・教育がなされているのか」を深堀りするべく、保育園の歴史やその教育哲学についてまとめてみました。
その名にちなんで
この名門保育園は1984年に創設され40年の歴史を持ち、園名には20世紀初頭に活躍した女性教育心理学者の名前が冠されています。その学者は1939年に他界しており、要は50年近く前に亡くなった方の名前が設立当時に冠されました。ハーバード大学もスタンフォード大学も、それぞれの大学創設に金銭的な支援を行ったジョン・ハーバードさん、リラント・スタンフォードさんの名前が大学名に採用されていますが、この名門保育園はジョージ・ワシントン大学、そしてコロンビア大学タイプです。寄付者ではなく、個人の功績を称え、彼・彼女らの精神や価値観を体現するべく、その名にちなんで、名前が冠されています。
余談ですが、この前編と後編を書く間に大統領選挙がありました。結果はご存知の通りトランプ勝利となりました。民主党の牙城であるニューヨークでもトランプは支持を伸ばしましたが、それでもマンハッタンではハリスに投票した人は8割を超し、選挙後は多くの人が喪に服しています。私は『その名にちなんで』を再見したい気分です。その映画(小説が原作です)はロシア人作家のニコライ・ゴーゴリにちなんで、ゴーゴリと名付けられたインド系アメリカ人の名前とアイデンティをめぐる話です。映画の主人公は、アメリカで同化しようとする過程で、自身の名前に嫌悪感を持ちアメリカらしい名前に変えたいとも願いますが、物語が進むなかで、自身のルーツや家族の歴史に向き合い、その名前に込められたた思いなどを知り、自身の名前とアイデンティティを受け入れていきます。アメリカでは、中国系の人などは、本名は英語話者には発音しづらい・覚えづらいので、本名とは別に英語名(Jimmyとか)を名乗る方が多いです。ただ最近は、自身の文化・アイデンティを大事にするために、本名を使うことが推奨されており、渡米前は娘の英語名は何がいいかなと妄想していましたが、娘は保育園でも日本語名を使っています。今の保育園には、韓国、香港、アフガニスタン、サウジアラビア、ウクライナ、メキシコ、コロンビア、ナイジェリアと様々なバックグランドを持つ子どもが集まり、色んな名前の子どもたちがいます。トランプが勝利し、移民や多様性に対する忌避感が広まる中で、『その名にちなんで』を再見したい気分です。
ギフテッド向けの保育園の草分けとして
脱線しましたが、娘が通う保育園の園名となった女性教育心理学者は、ギフテッド教育の先駆者として知られています。そしてこの保育園は、ギフテッドの子どもたちに特化した保育園として歩みを始めました。この保育園が創設される少し前、コロンビア教育大学院内にギフテッドを扱う研究センターが開設されましたが、センターには「既存の保育園では自分の子どもにうまく対処してもらえない」とギフテッドの幼児を持つアメリカ中の親から電話が殺到し、幼児へのギフテッド教育のニーズを感じて保育園が開設されたとのことです。なので設立当初は、ギフテッドな子どもたちのみが通う保育園でした。入園児には、ギフテッドかどうかをスクリーニングするために、親に対する詳細(Comprehensive)な質問票や、子どもの実地観察、IQテスト的なものも実施されていたようです。
ギフテッド教育の実践として、様々な尖がりを持った子どもたちに保育・教育を提供するべく、個別化されたアプローチや探求心を引き出す環境づくりが行われていたようで、これらは今の保育園でも引き継がれているなと感じています。また、ギフテッドを持つ親・家族は育児で悩みを抱えることが多いため、家族との連携や親とのコミュニケーションを大事にしていたとのことで、この姿勢も今の保育園でも残っているなと感じています。
ギフテッド教育からのシフト
明確な時期や理由は明らかにされていませんが、娘の通う保育園は、あるときからギフテッドに特化した保育園から今に続くよりユニバーサルな教育 ー ギフテッドなどの特定のグループに限定せずすべての子どもたちに対応した教育 ー へとシフトしました。
これは完全な妄想ですが、このシフトは、ギフテッド教育がエリート主義である、知性に偏り多様な才能を軽視しているといった批判から、すべての子どもがアクセスでき、多様な才能を尊重するユニバーサルでインクルーシブな教育へ世の中的にシフトが起きたこと、それと並行してADHDといった特定の特性を区切る方向性から、特性をスペクトラムとして捉えるニューロダイバーシティへとシフトしていった過程と呼応しているのでは、と勝手に妄想しています。
いずれにせよ、娘の保育園で実践されている教育の根っこには、園名に冠されているギフテッド教育の先駆者の哲学が息づいており、一人ひとり異なる特性を持つ子どもに対応する、親もケアするといったギフテッド教育の名残りが残っているように感じています。
実践のもととなる教育「理論」
では、現在はどのような哲学に基づき保育・教育が提供されているのでしょうか。保育園のホームページには、保育園で行われる実践は3つの教育理論をもとにしているとあります。「理論」がでてくるあたりは、さすがに大学院に設置された保育園といった感じです。
1. ジョン・デューイの「経験」
まさか、保育園でジョン・デューイが出てくるとは驚きです。といってもアメリカの有名な哲学者くらいの理解しかないですが、そんな哲学者の名前が保育園で出てくることが驚きです。デューイは「学びは『経験』を通して行われる」という考えを提唱しました。なので、保育園では子どもが実際に体験し、そこから考察していくプロセスが学習には不可欠だと考え、ただ知識を詰め込むのではなく、体験から自ら学びを発展させていくことを重視しているとのことです。ちなみに「問題解決型学習(Problem-Solving-Learning)」もデューイの学習理論だそうです。コンサル時代嬉しそうにプロソルを語っていたのに、その言葉の背景などまるで理解していなかった自身を恥じました。なぜ保育園からProblem Solvingが出てくるのか(前編参照)よくわかりました。
2. レフ・ヴィゴツキーの「最近接発達領域(ZPD)」
ヴィゴツキーは20世紀の著名な心理学者の一人で、かれのZone of Proximal Development(最近接発達領域)が保育園における理論のベースになっているとあります。「最近接発達領域」とは子どもが現在できることと、少しサポートを受けることでできるようになることの間の領域のことだとそうで、同領域において、適度な挑戦を与えることで、子どもは新しいスキルや知識を習得することができるとのことです。これは個人的な経験としても納得ですね。卑近な例ですが、人材育成の観点で、その人にとって少しチャレンジングなタスクを与えるのが良いと前の会社でも言われていました。保育園のの実践の中でも、子ども一人ひとりの発達に応じたサポートを通じて、少し難しい課題や活動に挑戦し成長できるような環境が整えられているとのことです。素晴らしい。
3. ハワード・ガードナーの「多重知能理論」
ガードナーは、人には多様な知能があり、それぞれ異なる形で表現されるとする「多重知能理論」を提唱したとのことです。知能は、言語、論理・数学、空間、音楽、身体運動、人間関係、自己認識、自然理解など、多くの種類があるとされているようです。なので、保育園では、子ども一人ひとりの異なる知能や才能を見つけ、伸ばすことを重視しているとのことです。ありがたい。
コアバリュー
仕事がら企業の「ビジョン、ミッション、バリュー」の策定を手掛けたことが何回かありますが、煎じ詰めるとビジョン(どのような社会を作りたいか)は「みんな幸せ」、ミッション(そのためにどうありたいか)は「ナンバーワン」とどの企業も似たようなところに着地することが多いなか、バリューは価値観でありカルチャーであり、企業独自の味が出てくるところなので一番好きでした。娘の通う保育園ではでは以下の5つのコアバリューが設定されています。
① Respect & Intentionality
② Inquiry
③ Gratitude
④ Sustainability
⑤ Joy
③Gratitude(感謝)、⑤Joy(楽しい)あたりは、日本の保育園でもバリューを作ったら結構な頻度で出てきそうな気がしますし、④Sustainability(持続可能性)は時代を反映している気がします。他方で、①Respect & Intentionality、②Inquiryあたりは、この保育園ならではという気がしました。
まず①Respect & Intentionalityに関して、日本でRespectといったら「(他の子に迷惑をかけないように)子どもどうしお互い・お友達を尊重しましょう」といったニュアンスを想像しますが、こちらの保育園でのRespectの矢印は先生から子どもです。「すべての子どもが自信と能力ある存在として尊重する」とのことです。Intentionality(意図を持つこと)については、Respectを具現化するべく、活動の計画や日々の会話にいたるまで意図をもって先生が子どもと接することを大事にするとのことです。会話レベルまでRespectを意図することをバリューで定めているのは具体的な行動で変化が起きそうですごいです。
②Inquiry(探求)については、子どもの好奇心を称え、子どもからの質問を学びにつなげるための機会として捉えているとのことです。日本でも探求学習は広まってきていますが、保育園の段階から探求を中心的な価値に置くというのはこちらならでは、またギフテッド教育を行っていた遺産だなと思いました。
さいごに
前編、後編とニューヨークの名門保育園についてまとめてみましたが、その保育園で提供されている保育・教育の中身、それらを支える教育哲学や理論など、一つ一つが、またパッケージとして驚きの内容で素直に素晴らしいと思いました。個々人の特性、才能にあわせたサポート、探求的な学び、保護者への積極的な情報提供・コミュニケーションなどは、日本の保育園でも参考になる部分が多いのではと感じています。
他方で、日本で通っていた保育園を思い出したとき、そこでの先生方は本当に素晴らしい方たちでした。子どもへ愛情に溢れ、親身になって子ども・親をサポートしてくれる。アメリカに来てつくづく思うのは、保育園の先生はじめ、飲食店・スーパーのスタッフ、銀行の窓口スタッフなどなど、日本においてゲンバでオペレーションを回す人々のクオリティは極めて高いということです(そして自分のように偉そうにしているデスクワーカーのレベルは相対的に低い)。エスニックジョークで世界最強の軍隊は「アメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官兵」というものがありますが(そして最弱の軍隊の将校(中間管理職)は日本人だそうです)、この傾向は脈々と受け継がれているなと感じます。
また、保育園サンプル日本N=1、アメリカN=1ですが、日本の保育園ではおしなべて私の娘が行っていた保育園と同様の保育がどの保育園でもなされているけれど、アメリカの一般的な保育園の質と娘の通う保育園の質には大きな隔たりがあるという感覚は外れていない気がします。今回のアメリカの大統領選挙の結果をもたらした背景には社会の分断があり、娘が通っている「名門」保育園も知らず知らずのうちにその一端を担っている構造にあると思います。
アメリカに来て思うのは、良いとこどりは難しいのではということです。上の例でいうと、社会として最強の将軍、将校、下士官兵を集める、すべての保育園がスーパーハイクオリティなのは難しいのではということです。日本において自分の頭で考えられるような人材が増えたら、良い将軍、将校が増えるけれど、下士官は頭でっかちになり手が動かなくなりクオリティ下がる的な。ニューヨークの名門保育園での驚き経験を通じて、社会も個人と同じで、「多重知能理論」のように尖りがあり、その尖りを前提とした発展の方向性があるのではと考える今日この頃です。