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映画『テルマ&ルイーズ』【女たちの邪魔をするな】

プロローグで一番最初に例として名前を出してしまった『テルマ&ルイーズ』
そんな風につい出てきてしまうほど、私にとって人生で最も思い入れの深い映画です。

初めて観たのは、おそらく高校生か大学浪人をしていた頃。
とにかく世の中の作品という作品に触れたくて、タワレコの無料配布雑誌に載っている音楽をネットで片っ端から試聴したり、BSで放送している面白そうな映画をつぶさにチェックしたりしていた頃です。

『テルマ&ルイーズ』という名前は、吉田美和さんと浦嶋りんこさんのユニット(すごい2人組ですよね)FUNK THE PEANUTSの歌詞で聴き知っていて、「それほど有名な作品なら観てみよう」と思って観た気がします。

その頃の私は、フェミニズムの正しい意味も知らなかったし、観た後もしばらくこの作品がフェミニズムと結びつくとは思っていませんでした。
百合というものも知らなかったし、テルマとルイーズのキスシーンがあったことも覚えていなくて、時をおいて再び観た時に驚いたくらいです。

しかし、無知で未熟な10代のまま観たこの映画に、全身の血が燃えたぎるような感覚、「これは私の一生の映画だ」と直感したのは、きっと生まれた時から肌で感じ取っていた性差別と、女友達との絆の大切さが、私の実感の中にあったからではないかと思います。

当時SNSも普及していないインターネットでこの映画のレビューを調べて、「ロードムービーは女でやると湿っぽくなってつまらない」という感想に憤慨したことを覚えています。
「男よりずっと真面目に生きてるんだよ!何が悪いんだよ!」と当時の私がすでに思ったことが、今考えると不思議です。

私とこの映画の関係についてはこのくらいにして、映画の紹介に入りましょう。

レイプ男を撃ち殺し女2人逃避行

主婦のテルマとカフェで働くルイーズ。友達同士の2人は一緒にドライブ旅行に出かけます。
途中立ち寄ったバーの駐車場で、テルマが男にレイプされそうになったことで、2人の運命は一変します。ルイーズは、テルマを助けるために銃を取り出し、はずみで男を撃ち殺してしまう。
そこから女2人逃避行の旅が始まります。警察の追っ手から逃れる危険なドライブの中でも、2人は次第に解放され、のびのびと自由になっていきます。

女友達のためならなんでもできる

映画の中では、女がこの世の中で生きていて、男から受けるさまざまな仕打ちがとてもリアルに描かれています。

歳上の男が、まだ10代のうちに妻にした女をどんな風に扱うか。女だけで車を運転しているとどんな屈辱を受けるか。
男が軽い気持ちで行う脅しや暴力に、どれほど女たちが怯えているか。

怯える理由は、レイプされそうになったテルマが男を一発殴っても、比べ物にならない力で2発殴り返される描写にも明らかです。
「あんな風に泣くのはふざけてるんじゃないのよ」というルイーズのセリフと表情が、すべてを物語っています。
「女たちが本気で悲痛な叫びを上げているときに、なぜいつも世の中は、まともに取り合ってくれないのか」。

しかし、犯罪者として追われる身になった2人は、どんどん強くたくましくなっていきます。
テルマが頼りない時はルイーズが支え、ルイーズが落ち込んだ時はテルマが底力を発揮する。そうやって彼女たちは、友達のためならなんでもできる自分自身を知ります。

男の暴力や権力の前に女はとても無力なのに、世間ではよく「女は強い」とも言われます。それは、都合の良い時だけ女を強者に仕立て上げる卑劣な言い分ともいえます。

しかしそれと同時に、弱者だからこそ、同じ弱い立場の人間が苦しめられている時に、自らを顧みずにどんなことだってする勇気を持ち得るのかもしれません。
その姿を見て「女は強い」と言う人もいる。背景に、どれほどの弱者ゆえの苦しみを乗り越えてきたかも考えずに。

男たちには何もできない

2人を追う警察の中で、一人だけ、「彼女たちを助けたい」という思いを持つ捜査官がいます。この男性を、リドリー・スコット監督その人の投影と捉えた観客は多いのではないかと思います。

彼にどんな背景があるのかはわからないけれど、虐げられる女の苦しみに、この人だけは理解し共感します。

しかし、彼一人が共感を示したところで、一体何ができたでしょう。
もし彼女たちが早い段階で警察に出頭していたら、正当防衛が認められたでしょうか。あるいは、軽い刑罰で済んだでしょうか。
答えはわからないけれど、こと性犯罪においては被害者の方が責められ追い詰められることは現実に多くあります。ルイーズが以前にも性被害を受け、正当な審判を受けられなかったことを示唆するような描写もあります。
彼女たちの逃亡という決断が、間違っていたと、誰が断定できるでしょう。

この映画のラストには、賛否両論あります。
ただ、男たちの誰も彼女たちを殺すことはできなかったし、男たちの誰も彼女たちを救うことはできなかった。
それだけは確かです。

彼女たちの信頼は、永遠にお互いに対してのみ捧げられたのです。

文・宇井彩野

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