電車が止まってしまったら(後編)
(前篇はこちら)https://note.com/yurismile/n/n8594324eafed
私の体験
ずっと前、何年か前のことです。
人と京都で待ち合わせがあり、電車に乗っていました。
私が電車に乗っていた時、同じ路線の大阪方面で人事事故があり、
私の乗っている電車も一緒に止まりました。
その時、車内の乗客の殆どがスマホをとりだして、それぞれに「遅れます」の連絡をして、
その後、スマホに集中しながら電車が動くのを待っていました。
気づいたこと
それを見て、私は思いました。
「あれ?
人事事故なら、
ひとが一人亡くなられたか、
瀕死の状態か、わからないけど
とにかく怪我をされた、という事は
確かなのだけれども
その方に対して祈る人はいないのかな?」
と思いました。
そして
「そうか!
私も今までしていなかったかも」
と思いました。
事故で怪我もしくは死亡された方に対して
苛立ちを向けたり、
無関心だったりしたかもしれないな、
と思いました。
無事を祈る
それで私はそこで手を合わせて
「南無阿弥陀仏」を10回唱えて
それから
「般若心経」を唱えました。
唱え終わると、どこかから
「ありがとう」
という声が聞こえたかのような気がしました。
事故で痛い目に遭った方が怪我だけですむとしても
軽くすみますように
お亡くなりになられたとした場合
魂の苦しみが浄化されますように、
と思いました。
魂は心とつながる
どちらの場合でも
その方は生死の境目をさまようことになると
思います。
そういう境目にいる時、
人々の心というのがそのまま伝わるそうです。
魂だけになると、
人々の覆い隠している心の中の思いは
まるでマイクで外に響かせているくらい
そのまま伝わるそうです。
ですから
「もう、人事事故か! 遅れてしまう!」
と苛立ったとしたら
その苛立ちはその方にそのまま伝わります。
私は
その出来事にあうまでは
「時間に遅れる」ということにぴりぴりしていました。
本当に私自身がそれまでは苛立っていたのです。
申訳ないことだったと思います。
その後
さて、
その出来事の時、
手を合わせて祈り終わった瞬間、電車は動き出しました。
たまたまですが、
そこからすぐの駅が「〇〇神社」と
明記してある駅でした。
電車はその駅にとまり「しばらく停車することになる」というアナウンスでした。
そしてそこは歩いてすぐ横に別の△△電車の路線がありました。
神社
私は〇〇神社にお参りして、
事故に巻き込まれた方の心身魂が
出来るだけ怪我少なくすみますように、
祈りました。
そして隣の△△電車の路線の駅に歩いていくと
(歩く時、なぜか気持ちが明かるかったです)
丁度そのタイミングで△△電車が来ました。
そして△△電車に乗ると、
結果的に
待ち合わせの時間、丁度のタイミングで駅に着くことができ、
そんなに待たせないですみました。
ありがとうを5回言う
私は
数年前のその出来事がきっかけで
「電車に遅れる!」
と苛立つことが減りました。
そして、電車に乗った時、
安全であることに無関心になりすぎないように
「ありがとう」
を5回ほど言うようにしています。