見出し画像

シャドウ(影)を直視して自己に統合する

心理学用語でシャドウと呼ばれるものは「抑圧された自己」です。認めたくない自己、観たくない自己ーーです。顕在意識の世界では自我(エゴ)が主導権を持っていますので、自己を成長させよう(視点を拡大させよう・他者を理解しよう・自分の闇を見つめよう・・・)という意識づけを持たない限り、自我はシャドウを無意識世界の奥底に抑圧し続けます。



いや、ちょっと待った~です。すべては光と闇の二極(正しくは四側面)なのに、自己の片側を抑圧したら、私たちは太陽を獲得できないことになりませんか?ええ、なります。なるのです。(一人寸劇入ります)



恐ろしいのは、シャドウは抑圧すればするほど、反比例してそのパワーが増大していくという点です。自分の認めたくない自己の側面を見ないようにすればするほど、どこかの段階で爆発的作用をもたらします。シャドウの爆発こそが現実の崩壊であり、様々な試練(経済的破綻・関係の決裂・病気・事故・社会的立場からの転落など)となって顕れます。しかし、シャドウに意識の光を当てること(しっかり直視すること)で、シャドウは自己に統合されていきます。



許せない、受け入れられない、嫌いだーーと感じる他者、あるいは、羨ましい、妬ましい、私が脅かされるーーと感じる相手こそが「私たちのシャドウ」です。すべての他者を好きになれということではありません。それは私たちが見ないでいるシャドウの現れだと気がつき、自己の一側面として認め、統合することが求められているのです。この作業は自己と他者の分離(二元性の土台)から自己を解放することです。




これを占星術的に表現すると、私たちのホロスコープに示された土星と月が与える課題と真正面から向き合うということ。自分の知覚や正しさに拘り続け、自我を守り抜こうという意識状態でいる限り、私たちはホロスコープが示す運命に翻弄されて生きるしかなくなるのです。月と土星に絡め取られて、受動的で被害者的な人生を歩いてしまいます。(いやいや、太陽でしょ!!!)



一般的に、占星術では土星をシャドウと関連づけます。しかし、出生時の月が囚われ・二重構造である故、月もまたシャドウそのものと言えます。土星がシャドウであり、あなたの受け入れがたい事柄を示していますよーーという事実はすんなり認めることができても、月は本当のあなたではなく、偽りの自己像なんですよーーという事実には拒絶感と怒りを露わにするケースがあるのはなぜでしょうか?w



それは月が与える偽りの自己像こそが自己の本質(拠り所・バイタル)であると勘違いしてしまうからです。知覚と認識、あるいは概念・マインドの問題と言えます。これらは私たちの本質的なエッセンスではないのに、それくらい強力に作用します。



と、このようにその仕組みを言語化しても、実際はとってもとっても苦しいことです(T_T)自我は徹底的にそれを拒否します。たとえば、ユリシスは土星が蟹座9ハウスにあります。これは蟹座的な事柄に苦手意識を感じ、蟹座的な側面を9ハウスの分野に持ち込んでいる他者や状況を受け入れがたいと感じることを示しています。そこに私の土星的シャドウがあるのです。



もっと具体的に言うと、9ハウス=高潔で公正でクリーンであってほしい場所(本来はまつりごとであるはずの政治・会社組織・精神世界など)において、蟹座的=身内意識による忖度や不公平な行い、自分だけがよければいいというような「ズルイこと・エゴ的権力を振りかざすようなこと」が行われていることに対して、強い拒絶感や感情的反応を抱くということです。



また、自分のシャドウを見ないで、被害者意識的に自己保身で生きている人や感情に殊更拘り傷つかないように生きている人が嫌い、許せない、間違っていると感じるということでもあります。蟹座土星9ハウスを持っている方は、このような状況に対して、抗いがたい正義感や自己の正しさがムクムクと湧いてきて爆発するわけです。



実際に、私はその通りの価値観(知覚スタイル・クセ)を持っていました。それなのに、まさにドンピシャな相手や状況が人生に顕れてきて、それをあなたの一部だと認めなさいーーという土星先生が与える大変苦しい出来事に遭遇するのです。(勘弁してほしいですねw)これは自我にとって地獄そのものです。しかも、その当事者からセクハラを受けたり、どう考えても「私は悪くないでしょ」と思いたくなるようなおまけつきwです。それを受容していくことはとても苦しい体験です。どなたもこのような土星の試練を何度も経験しているはずです。シャドウを認めるまで、同様の体験がやってきます。



何より、自我の認識や知覚というものは、非常に不安定で絶対的なものではないのだということを知っておくことが重要です。正しさや正義感なるものは「私の主観的宇宙から見た相対的価値観」でしかありません。許せない他者や出来事は「私の側から見た一方向的事実」なのです。事実・真実そのものでは決してないのです。人間の相対的知覚を絶対視することで、あらゆる可能性や意識の進化に制限をかけているわけです。



皆さまはゲシュタルト崩壊ーーを体験したことはありますか?よく知っているはずの漢字をじーっと眺めていると、その漢字が非常に違和感のあるものとして感じられ、どんどん分解されて認識ができなくなり、それまでの知覚(概念)が根底から崩れていくといった体験です。ゲシュタルト崩壊が起こると、その瞬間はなんとも気持ちが悪く、自己存在が危うく感じます。(私が私だと認識している自己とは何ぞや?いや、この世界とは何ぞや?それらは本当に実在しているのか?・・・)


だまし絵

この絵の中には鷲鼻の老婆(横顔)と斜め後ろから描かれた若い女性が同時存在しています。この絵をぱっと見て「老婆」だと認識した人には若い女性が見えなくなり、「若い女性」だと認識した人は、老婆を見つけることが難しくなります。



つまり、私たちの知覚構造は全体像を捉えることが難しい仕組みとなっています。細部に囚われると全体が見えなくなり、全体に意識を向けると細部が見えなくなります。それくらい主観的で一方向的で不安定なものなのです。それを絶対視してしまう危うい自我の視点を拡大させることが土星の大きな目的だと言えます。




ところで、今、人生二度目のヌーソロジーマイブームが訪れているので、またオコツト先生を出しますwオコツトの言う「新たな空間認識プログラム」を獲得するにはどうすればよいのでしょうか?それは思考(拡大していく知性)によって新しい認識構造(知覚構造)を獲得すること。あらまあ!占星術が示していることと全く同じです。




オコツトによればーーー私たちが時間と空間を伴う三次元だと認識しているこの世界は、実際は多次元構造であり、≪四次元対称性≫を持つ入れ子構造であるーーーそれは「内外空間の対称性」と言い換えられます。私たちは常に、「私と私以外」を区別しています。「私と他者・外界」との分離です。ですが、本当は「内」と「外」は入れ子構造となっていて≪内に外が内在し、外に内が内在している≫というわけです。



私たち人類に「内=外・外=内」という空間認識(偏った二元性認識が解除され、ありのままをよりありのままに認識できる知覚)が生まれたとしたら、この内と外との区別自体が消滅します。このねじれ=反転の本質を理解するために、オコツトが伝える概念があります。それが下記の図です。「この概念を人間が正確に理解すれば覚醒が起こり、宇宙のナゾのほとんどは簡単に解けていくことになるだろう」






≪内が外を内在し、外が内を内在する≫という多重ねじれ構造ですが、それをイメージするにも一苦労です。しかし、こう考えるとどうでしょうか?私たちが目の前の世界を見ている時、自分自身の後ろにある世界は見えません。後ろの世界を見ようと振り返れば、今度は前の世界が見えなくなります。常に私たちは見える世界と見えない世界(光と闇・有と無・物質と意識)を同時に内包している、というわけです。(二つの分離した世界が重なり合っている)



ということは・・・です。元来、私たちは自分ひとりだと全体を認識できない構造であり、それどころか、自己さえ認識できません。そのために他者が存在しているとも考えられますよね。そもそも、私たちは大きな勘違いしている可能性があるのです。(というか勘違いしていますw)性質の違う相手を受け入れるのが「愛」なのではなく、相手は自分のシャドウでもあり、欠けた半身であるのです。愛するとか許すとかではなくて、そもそも「失われた半身」です。この知覚の方が断然事実(本質的構造そのもの)に近づきます。ですから、知覚認識の拡大と概念・思い込みの解除こそが愛だと言えます。




自分ひとりでは片側しか見えない世界・・・しかし、二人が背中合わせに向き合うと四つの目(四次元ねじれ構造・多次元化)が生まれます。そこで初めて、全体性に至ることができ、進化を生み出す力となるのです。やはり、パートナーシップとは偉大なものです。だから、みんな苦労しているわけです。水瓶座時代のメインテーマを示すと言える天王星はウラヌス(火と水)という名を持ちます。アクエリアスとは、私たちがこのような四つの目を持つ認識に至ることであり、そのエッセンスはパートナーシップにこそ如実に集約されています。



月と土星を超えて、トランスサタニアンの次元へ。偉大なる土星先生!!!ですね。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?