多分正解はあっち側
noteに地元岐阜のアレコレに文句ばっかり言ってるなと改めて思う。
地元活性化を謳い文句にしたイベントだの映画だのの話だ。
「おかえり、こっち側の集い」というテレビ番組を見てて、やっぱり地方と言うのは都会(あっち側)への憧憬という呪縛からは逃れられないものなんだと思った。
結果どうしても地方都市はなんとか都会のようになりたいと「あっち側」の要素を取り入れて「あっち側」へ行こうとするんだなぁと。
そしてそんな流れを見るにつけ私の天の邪鬼な性質も影響して「あっち側」へ行こうとする我が地方都市に反感を抱いてしまうのかも知れない。
前にも同じような事をどっかに書いたなぁ…などと思うけど「あっち側」の匂いがプンプンするような地方イベントに遭遇する度に思ってしまうのでもはや仕方ない事なのだと自分で納得する。
そう言いながら以前ならそういうものに乗っかったりもしたものだが、今はまったく乗れない。
でもきっとそんな「あっち側」的な流れは地方都市として正解なんだろうなぁ…とも思う。
私のような少数の「こっち側」(もはや私などは「こっち側」のさらに「こっち側」な気もしてるが…)の天の邪鬼の気持ちなど無視してどんどん「あっち側」的な発想で我が岐阜も発展していくのかも知れない。
いずれにしても今の私は「こっち側」で鬱々しながら「あっち側」の発展をひねくれた横目で見ながらますます暮らしにくく居場所の無くなるこの街で生きていく事になるのだろうな。