社会的な地域猫のメリット
「地域猫」というと、賛否両論がある。
反対派がいるのはわかる。
家のお庭で見知らぬ猫に糞尿をされ続けたら、そりゃあ地域猫に難色を示すようになって当たり前。
保護団体しても、「猫はみんな室内飼いにして、不幸な猫を生み出さないようにしよう」…猫を大切に思うからこそ、そういった考えになるのも分かる。
私はライターの勉強をする上で、SEO(多くの読者が求めている記事がGoogle検索上位に出てくる原則)を学び、「地域猫 メリット・デメリット」で検索してみた。
地域猫の問題点の記事は出てきたけれど、地域猫がもたらすメリットについて、猫側のメリットがあげられるばかりだった。
社会的なメリットが載っている記事が出てこなかったため、猫おじさん(懇意にしている餌やりさん)(猫おじは餌やりさんどころか、地域猫と一緒に生活をしていた)とお話したこと、私自身が考える、人間社会へのメリットを、私は今から記そうと思う。
①ネズミを捕食してくれる。
現在の衛生大国ニッポンにおいて、ネズミなんて増えない、殺鼠剤があるじゃないという声を聞く。
しかし、1匹のネズミが1年に生む子ネズミの数は200匹~400匹だ。
「ネズミ講」という言葉はあまりにも有名だろう。
ネズミは爆発的な速度で繁殖していく生き物だ。
「今の日本にネズミなんて見ないよ」
「こんなに衛生的な日本で、ネズミなんて増えないよ」
そういう声もあるだろう。人間とネズミの居住地が少しだけ違うために。
私も日常を送っていく中で、ネズミをまじまじと見たことはない。一瞬見えたと思っても、すばやく奴らは姿を隠す。
そもそもネズミは一般的に夜行性であり、昼間は屋根裏や物置の奥、床下などの暗くて隠れやすい場所に潜んでいる。
人間の目には留まらないのは当たり前だ。
(ネズミだってそれは警戒している)
動物愛護の観点から見たら、生命を守りたいの倫理観から見たら、ネズミの駆除も抵抗がある人はいるだろうが、彼らは媒介者だ。
有名どころだけでもハンタウイルス、サルモネラウイルス等、日本以外の諸国では先進国でも珍しくない感染症を媒介する。いいたくもないけれど、最悪はペストが出ることだってないわけではないのだ。
そして、現在だって穀物を荒らす農家の敵だ。
納屋に対策なしに穀物を保管すれば、油断をすれば食われてしまう。
人間は、地域猫を世話して庇護する。地域猫はネズミや害獣を狩る。
そういう、元々のWINーWINな関係は、健康的ではないかと私は思う。
②完全なペット化は、健康な姿だろうか。
猫はかわいい。その愛くるしさで世界中を魅了している。
ベビースキーマの最高峰と称されるのはとても分かる。
しかし、ただ「かわいさ」だけに価値を置かれて、完全なペットと扱うことに、私は抵抗がある。
ともに地域猫を見ている猫おじは、「猫には考える力がない」と言った。
(個人的にこの意見に異論があるけど、それはおいておこう)
確かに、思考能力は人間全般の方が優れていると思う。
だけれど、感覚の鋭さ、感じる力はどうだろうか。
五感は人間とは比べ物にならないほど高いのだ。
個人的には五感以外の感覚も猫は持っていると思う。
また、前のくだりの通り、全ての猫をペット化し、猫にハンターとしての能力を失わせるのは、私は危険だと思う。怖いと思う。
「蚕」っていますよね。
昔は自分で飛べたし、自分で食事もできていた。
他者の管理に依存しないで、自然の中で生きていた。
だけど人間が、その紡ぎだす糸の美しさに魅了され過ぎて、一人では生きられない生き物に変えてしまった。
猫は「可愛い」。私は猫という生き物を愛している。
彼らにたくさん救われている。
だからこそ、たくさんの能力を持ったまま、自力で狩りができる猫でいてほしい。彼らの持っている能力は失われないでいてほしい。
獲物を目の前に持ってこられたら、そりゃあ悲鳴は上げる。
だけれど、ネズミを狩ってくる「地域猫」の存在に、私はどこか救われる。
③大勢の人達から愛される猫になる。
このお話で最後になる。(また別記事で上げるとは思うが)(そして私事も挟んみますと先にお伝えします)
「猫カフェ」なるものの存在が登場してから、猫と触れ合いたいなら猫カフェに行くのが主流になってきていると思う。
(もしくは友人の猫を触らせてもらうなど)
だけれど、人との交流が盛んなお外で成長した猫、可愛がられ育った地域に生きる猫たちは、大変フレンドリーで、頻繁に顔を合わせてコミュニケーションをとっていると、親友のように仲良くなれる。
一回だけ猫カフェに行っても、「猫ちゃん可愛かったね」で終わることがほとんどだろう。
だけど、近所に地域猫が住んでいたら仲良くなるのだ。
「猫だからかわいい」ではなく、「その子だから愛おしい」へと変わる。
私は「その子だから愛おしい」に変わってから、ほぼ毎日地域猫の生息地に日参している。私が行くと、猫たちが気づいて走り寄ってきてくれる。
「ごめんね、今日はちゅーるなしだよ」と言っても、そんなのは関係ないと言うように全身でスリスリゴロゴロ、頭ゴツン、そしてお尻のにおいをかがせようとする(だからお尻はたたく)。
猫は、与えた分だけ純粋に愛情を返してくれる。
そこにうそも偽りも、打算もないことくらいわかる。
私はこの子達を守るためなら何でもできると思った。
新潟の冬は極寒だし雪も降るから、去年12月にはペット可のアパートを借りた。
1月には手術予定の猫2匹を預かり、1匹はすでに手術済みで経過観察、もう1匹は2月の頭に手術予定だ。
そうして春になり気温が上がったら、もとの生息地へリリースする。
そうして、11匹の地域猫を全員健康で幸福のふっくふくにすると、猫達の治療費を稼ぐため副業も始めた。
私はこの子達に今後の猫生も、地域で多くの人たちに愛される地域猫として生きてほしい。地域猫は愛され猫だ。
事情があって猫を飼えない人にも癒しを与え、
私のように親元から自立できなかった人を自立させた。
多くの人間は、愛する相手のために何でもできる生き物だ。
地域で多くの人に愛されて、食と住処の世話をされてほしい。
そうして、その子たちを愛した人々に面倒を見られながら、高い感受性と、高い身体能力を持ったまま、地域のネズミを狩ってほしい。
猫たちには誇り高い猫であってほしい。
けっして「カワイイ」だけではなく。
猫にあるのは「カワイイ」だけではないと、私は何度でも言おう。
古代から神として祀られたほど、ネズミがもたらす害から、数えきれないほどの人命を救ってくれた猫という生き物に敬意と尊敬を表して。