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茶酵令嬢双書ルリーアンジェ編☆第19note《『わたくしのお茶は飲めない、とでも?』~茶酵令嬢は世を”秘”する~》 

黎煎(参連) ”真っ赤な薔薇”が『プールス ノビレス』に捧ぐは・・・


「今夜は、夜会の薔薇に擬態<へんそう>しなくていいのですか?」
ルリーアンジェの側に近寄って来たその男性は、微笑みながら彼女にそう言葉をかけた。

ルリーアンジェは手に持っていた扇を自分の顔の前で大きく開くと、視線だけを浮かばせながら、彼を凝視する。

落ち着いた色合いのグリーンの衣装が、シャンデリアの光によって光沢を放つことで、まるで泉の碧のように艶めいて見えるのは、その衣装に使われている布地の質の良さ故だろうか。

いや、と彼を観察しながら、ルリーアンジェは思う。

身に纏っている彼自身の魅力が衣装を際立たせているのか。
スラリと伸びた身体は細身ではあるけれど、肩幅はがっしりしていて決して軟弱な者のそれではない。

焦げ茶の髪は今日は綺麗に分け目を取って額を晒していることが更に彼の面立ちを際立たせていた。

もともとが、綺麗な人なんだわ。
そこらの貴族令息なんかより、よほど上品な美しさを醸し出している。
現に目立たぬ場所で話しているにも関わらず、周りの御婦人方、令嬢方が彼をちらほらと見つめるのが止まらないようね。
ふふ、となんだか奇妙な可笑しさが込み上げてきたままに、ルリーアンジェは、自分を見つめる彼の少しオレンジがかったブラウンの瞳に向かってにっこりと笑いかけた。

「今日はまた一段と、意匠を凝らした装いですこと。
そちらの(商会の)新作かしら?」

「ハハハ。あなたにはかないませんね。まあ、確かにこれは来期シーズンの紳士服部門の目玉にはなるでしょうがね。」

「その生地って、あの国から?」

「ええ。まあ、ずっと交渉を続けていましたからね。」

「さすがだわ。それに染色の技術もたいしたものだわ。それって、もしかして?」

「やはり、もうばれましたか。まあ今日はあなたに報告も兼ねていたのですよ。あなたの所からお借りしている職人たちは実に素晴らしいですね。
正直、この布地は繊細故に染色が難しいとされてきた、だが、改良に改良を重ねて、決して諦めない彼ら(職人達)には敬服の念でいっぱいです。」

「うわああ。本当に素敵だわ。これで色のバリエーションが増えれば。
来期の社交シーズンにはこの布地の衣装が流行するはずよ。
うちの商会にもこの生地を卸してくださる?」

「ええ。もちろんです。というか、生地はうちの商会で。染色はそちらの職人でということで互いの共販商品にしてはいかがでしょうか?」

「リュート。あなたって本当に度量の大きな人ね。ありがたいわ。でも、染色はあなたのところにお任せするわ。うちの職人をあなたに託したいの。
いいかしら?」

「え?それはもちろんだいじょうぶですが。だが、そうなると。」

「ええ。分かっているわ。染色の技術をうちの職人があなたのところに伝授して構わない。それでいいの。ただ、その代わりにお願いがあるわ。
彼らの待遇を職人より格を上げて、職人を指導するティーチャー職に定めて欲しいの。そして、申し訳ないのだけれど、彼らがもし古巣に戻りたいときは自由にこちらに復帰できる自由を彼らに与えて欲しい。」

「何故、彼ら(職人たち)にそこまで?」

「うーん。彼らは、私が商会を立ち上げようとした時、なんの保証もないのに、僅かな賃金でさえ払えるかも分からなかった私の夢みたいなアイデアに共感して一緒に夢をみようと言ってくれた人たちなの。
彼らが居なかったら、私は商会を起こすことを夢見ることさえできなかった。
ああ、それは、リュート。あなたも同じよ。心から感謝しているの。
だから、私は彼らを彼らの実力にもっとふさわしい場所へ羽ばたかせてあげたいの。彼らにはその力があるのだもの。
このマラーケッシュ公国の職人から大陸中の職人たちが焦がれる匠の極みまで。そう、大陸マイスターへとね。」

職人たちを身内のように語る彼女の口調には熱がこもり、彼女にしては珍しく感情が身の内からほとばしっているようだった。

「分かりました。確かに彼らにはそれだけの力と資格がある。私は全面的に彼らを支援しよう。」
リュートは、目の前で微笑む彼女の懐の深さに自分の胸が疼くほどの切なさを感じる。

この女性<ひと>は、どこまで俺を魅了するのだろう。

「ありがとう。あなたには、この前から感謝しかないわ。
いつもほんとうに。」

ルリーアンジェは自分と自分の商会がリュートの商人としての目利きの鋭さと、彼の自分の下で働く人間への誠実さにどれほど救われてきたのかを身に染みて知っていた。そして自分の商会が上手く軌道に乗ったのも、あまりにも力弱き者への彼の善意故にということをも理解していた。

彼は表立って動いてはいないが、戦で孤児になった幼い者達への支援にかなりの額を注いでいる。また実力があれど環境に恵まれない者達への支援や他にも様々な支援を彼の商会から離れて自分自身個人資産から別人名義で施し続けている。

ルリーアンジェは商会とは別にジルマイト経由で情報ギルドの育成に力を注いでいた故に、リュートのそのもう一つの顔を把握していたが、リュート自身が表立って動くことを厭い、そのこと自体を“秘”めていることも深く理解していた故にそれを彼に伝えることは無かった。

ただ、彼女の中でリュートは身内ではないけれど、彼女が緊急の折には商会の全権を託せるほど彼は彼女にとって信頼に値する人物になっていたのであった。

「では、彼らにはフリーの職人マイスターとして仕事を自由に選べる権利を。そして、うちで染めた布地は表向きはうちの独占商品とするが、登録はうちとあなたの商会の共同特許商品として届け出よう。販売はうちで請け負うが利益は折半だ。染色の技術が可能だからこその代物なのだから、当然のことだ。いいね?」

ルリーアンジェはリュートのあまりにも誠実な堅気さに感嘆の声をもらしそうになる。

「あなたは、あなたこそが、『プールス ノビレス(純粋な高貴さ)』にふさわしいのだわ。」

ルリーアンジェは囁くように呟くと、彼に向かって簡略式だが敬意を籠めて小さくカーテーシーを捧げる。

「・・・?」

いつもは冷静沈着に見える彼の顔が真っ赤になったが、頭を下げている彼女はそれに気付かない。

「あなたは、なんて人だ。」

貴族令嬢である女性が平民の自分に礼を取るとは。
この女性の人生への向き合い方はなんて潔くて、なんて美しいんだろうか。リュートは、胸に込み上げる思いをなんとか身の内に封じ込めて、冷静な口調を取り戻そうと努めながら、声を振り絞った。

「顔をお上げください。ルリーアンジェ嬢。さあ、商売<しごと>の話はまた次回ゆっくりと取り決めるとして。今日はここまでにしましょう。
今夜はもうあなたを解放しなければいけないようだ。ではまた後日お会いしましょう。」

会場の隅で目立たぬように話してはいたけれど、確かにそろそろ同じ場所に同じ男性と一緒に居続けるのは目立ってしまう。

「ええ、では。」

リュートと別れた彼女は、さてと会場を見回して溜息をつく。
先程まではリュートと話してその内容に高揚していたおかげで、憂鬱な気分を免れていたルリーアンジェだったが、もともとは茶会の為の客を呼び起こすためだけに父に参加を押し付けられた夜会だったことを思いだす。
彼女は自分の気持ちが盛り下がってゆくのを止めることが出来ず、今日はもうこのままで居たいと切実に願ってしまった。

今日はどうしても『アンゲフォースの毒薔薇』を演じたくない。

今日のけばけばしい派手な衣装への羞恥が、本来の彼女自身にとても惨めな、だがどうすることも出来ない現実への情けない気持ちを呼び起こす。
その気持ちが普段は必死に抑え込んでいるはずの心の封を無意識にも解いてしまったよう。

彼女は本当はいつも、そう、いつだって、悪役令嬢<あか>のドレスを着たくはないのだ。
そもそも私は真っ赤なドレスなど好きではないのよ。
ルリーアンジェはもう一度会場を見渡すと、そうっとその場を後にした。

  

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