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【ゆりボウズ.245】

2024年2月2日(金)

◯人生、軌道修正
20代の頃はイケイケガンガンと突っ走って初めてみる世界でいろんな経験をし、悪いこともたくさんして生きていた。30歳になってからは仕事、結婚、子供、将来のこと、海外就職・生活のこと、ラフティングとの関わり方などなどじっくり考えるようになった。今年来年はやりたいこともあるので答えはいますぐ出ないけれどまあ焦らず自分のタイミングを大事にしつつやっていこうと思っている。別にこのままでも普通に生活出来るし、死にゃーせんけど、今よりもっとスキルを持った人間になりたいし、どんな形だとしても今よりもっと人の役に立つことをしたい。「このままではいかん」と思って挑戦の姿勢で今を生きている。今年の冬に計画していた米国生活をなくなく断念し、秋までは働き蜂になることにした。ここでなにもしなかったら腐りそうだし、サポートしてくださる方々に申し訳ない。幸せなことに私がやりたいことに対してサポートしてくださる方がいる。彼らなしには到底できっこないし、本当に感謝しかない。やりたいことが今この瞬間には出来なくなったけれど、未来に繋ぐ線を描けるために今は点をしっかり打とうと思っている。お金を貯めることを目標にはしているが仕事は選ぶ、環境は選ぶというのはもっと大事にしていること。ありがたいことに毎年夏に私を指名してラフティングツアーに参加してくれる方から先日、仕事を紹介してもらった。最近は今までの仕事プラス羽田空港の国際線の業務の一部を担当している。特に希望した訳ではないけど、よく使用する航空会社のデルタ航空を担当することになった。私が受け持っている業務内容は客室乗務員とかパイロットさんみたいに人前にでるものではなく、エアクラフトへの搭載関係(機内食、備品等)の管理がメイン。朝から夜中まで休むことなく飛んでは降りてくる飛行機を捌いていくのは難しいけど、やることを組み立てて指示してチームメイトと協力して出発までに業務を完了させないといけないのですごくやりがいがある。一緒に働く仲間はほとんど外国人なので、英語で伝えないといけないのも今のところ難しい。が、そこは学びの場として活用し、自分の語学スキルを高めようと思う。

ラフティングが全てだった20代、その時間たちは私の人生をとても豊かにしてくれた。私は、ラフティングがあまり上手な方ではなかったので、この道1本で生きていくみたいな考えには辿り着かなかったし、ラフティングしかできない人間にはなりたくなかったので自分なりにいろいろ手を打ってきた。その先も、人生は続いていくということを30歳になる手前に気づくことが出来た。20代後半、当時はラフティングの他にやりたい仕事は特になかったから、結構悩んだ。「とりあえずやってみるか」から始まった老舗旅館の調理仕事。そこから和食調理にどハマり。本当にやってみないと分からないもんだなと思ったし、「やってみたら出来た」みたいなオチもあるから結局のところ、とにかく動くことが大事なんだなということもわかった。ラフティングだけ出来ても生きていくことは出来るけれど、スキル、出来ることをたくさんもっている人はいろんな場所で必要とされるし、対応出来ると思う。今のわたしはラフティングが人生の軸、生活の軸にあるけれど、ラフティングが出来なくなっても困らない生活ができていると思う。安定を求めている、ということだと思うが、かといって好きなことが出来ていないというわけではないからいまのところ自分にとっていい働き方、幸せに生きれていると実感してる。

予定なんて、急になくなったり変更になったり横から入ってきたりする。今回みたいに米国滞在がなくなったときに今なにしようか、今なにをすべきか、と考えすぐ動けた自分がいた。うまくいかねーなみたいな時はしょっちゅうあるし、そんなんしゃーない。おっとっとと転んだら起き上がればいい、起き上がったら軌道修正。いつも自分のいるところを確認して歩きたい道に自分が自分を誘導する。こういう考えに辿り着くのは、やっぱりラフティングのおかげ。だだ流れに生きてはいけない、流れから外れるというやり方も、立ち止まった場所から流れに飛び出る方法も全部川が教えてくれたみたいに、20代の時の経験が今こうやってジワジワと私を強くしてくれている。ラフティング、ありがとう。東京で働いていて思うことは、本当にいろんな人間がいるんだなということ。いろんな側面と引き出しを持った人、時代と手を繋いだ人が誰かを幸せにできる、誰かの役に立てると思っている。出来る幅、自分の枠を広げる努力をしてなんでも面白がって挑戦し、今日も明日もその先も元気に生きていこうと思う。人生、吉野川だわ。

東京モノレール連絡通路から見る夕日はいつも綺麗

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