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【ゆりボウズ.243】

2024年1月23日(火)

◯プライスレス
東京の生活はもう少しで2年になる。私は割とどこでも住める人間なので、都会だからといってストレスを感じたりはない。ただ、四国には長く住んでいたのもあって、あーあの時の生活スタイルは楽しかったなーとか、人の距離感が近い生活はやっぱり自分の肌に合っていたなーとかは思う。住むところを決めるにはやりたいことがある場所に身を置く、がかなりポイントになってくる。

四国を思い出したところで、楽しかった日々が頭の中に蘇ってきた。四国での8年間は朝5時からのチーム朝練、仕事を3つ(ラフティングガイド・旅館祖谷温泉調理補助・ライター)掛け持ちして22時まで働く日を週6でこなしていた。朝早くから練習して夜遅くまで働いて大変、という話ではなくて、やりたいことをするためにはいろんな場面で踏ん張らないといけないという学びもあった。だけど、しんどさに勝る仕事への誇りとやりがいを感じて取り組むことが出来ていたのは幸せなことだった。仕事以外のところでの幸せはやはり人間関係。田舎特有の距離感には居心地の良さを覚えた。ラフティングの仕事が終わって5時丁度にみんなでビールを開けて高々と乾杯して、その日のツアーがあーだこーだってゲラゲラ笑いながら飲んだあのビールは都会の高いビールよりはるかに美味しかったなと今でも思い出せる。引っ張りすぎたり押しすぎたりしない、気持ちのいいエネルギーが多い状態がフローだと感じていて、以前働いていたラフティング会社のハッピーラフトはそういったものがきちんとあった。先輩も新人も横並びで馬鹿やれるすごく素敵なところだった。たまにこの人らぁ本当にバカだね〜って思うこともあったけど。四国にいる時はよく焚き火もした。少人数で火を囲んで、飲みながら過ごすと自然と会話も生まれて普段話さないような深い話をして相手をより知ることが出来たり、自分ってこう思ってるんだみたいな再確認が出来たり、沈黙さえ癒しの時間だった。近所のおばあちゃんやおじいちゃんには甘やかされていつも野菜をいただいたり、ご飯食べさせてもらったり、晩酌にお誘いいただいたりと孫のようにしてもらった。「人間のあたたかさ」を肌でかんじていた。都会にいればいろいろな情報が飛び交っていてワクワクする時もあるけれど、意味のない内容でゲラゲラ笑う損得勘定なしの会話、火を囲んで人間と人間しっかり目をみて心のうちを曝け出す、そんな場を生み出せるあの場所・時間ってほんとプライスレス。(思い出甦り中) 東京の楽しさ、はまた書こうと思う。

話が逸脱してしまいそうになった、話を戻す。いま、思い描いているやりたいことがあるけど、ちょっともやもやしていて動けず迷っている状況。モヤっとしている原因はいくつかあるけど、一番はやりたいことが日本にないからが大きな理由。長期で行くことはあっても、日本を飛び出して、そこに住むという勇気は今の自分にはまだないなあ。ま、とかいってモジモジしていると時間だけが過ぎていって結果出来なかったみたいな流れになるのが嫌だから現状を把握しつつ、焦りの感情が先走ることないように、一旦焦りを横に置いて、いま出来ることをやりきろうと思っている。あとはもう腹括ってやる、ぐらいだな。出来るだけ「毎日プラン」を立ててその日の流れややることを付箋に落として手帳に貼り、やり切れるように自分なりに工夫しながら生きている。生活していれば、予定していなかった会食だったり、打ち合わせだったり、友達のビデオ電話(長電話しちゃう…泣)いろんなものが横入りしてくることがある。どれも必要だと思って無理くり予定に入れるんだけど、「自分の今日やること」がひとつでも出来なかった日にはすごくモヤっとしてしまう。優先順位をつけながら日々のタスクを無くして明日に迎えれるようにやり抜いていきたい。甘えるな、わたし。さ、明日はなにやる!

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