友里カメラ-20190728現像-14

カメラと服って、似てるかも

今日、こんなツイートをした。

昨日のnoteの写真もフィルムで撮った写真だったのだけど、フィルムカメラを持っているときに撮りたくなる瞬間や景色というのは、デジタルカメラを構えているときとどこか違うのだ。

この感覚、なにかと似ている…と思っていたら、「浴衣を着たとき」のそれだと思い当たった。

ふだんは和小物にとくに興味を示していなくても、いざ浴衣を着る予定ができれば、かわいい髪飾りや巾着、下駄なんかに自然と目が向くようになる。今まで意識していなかった着物のお店の存在に、突如気づくようになる。

浴衣を身に着けることで、ふだんオフになっていた自分の中の「和風」スイッチがオンになるのだ。

フィルムカメラを手にしたときの感覚は、それに近い。

ふだんオフになっている「ノスタルジック」スイッチが、フィルムカメラというアイテムを通すことによって、ぱちんとオンになる。いつもは眠っている部分の感性を、フィルムカメラが刺激してくれているような気分になる。

「かわいい」とか「きれい」とかとはまた違ったセンサー、あえて言葉にするなら「寂しい」とか「刹那」みたいな言葉に近い何かに、ピピッと反応しやすくなるのだ。


そう考えると、一眼は私にとってお気に入りのワンピースみたいなもんだし、iPhoneはユニクロのような存在に近い。

ちょっと話が逸れるけど、わたしにとってiPhoneで写真を撮るのはほんとうに難しい。ボケが使えないし、のっぺらした質感になるし、画角もいつも使っているレンズより広いから、余計なものが入りがちだ。誰もがすぐ使える道具だからこそ、自分の至らなさにむざむざと気づかされるアイテムでもある。

体幹を鍛え、食事や姿勢に気を使い、スキンケアやヘアケア、アクセサリーの選び方まで心配りができている人が着るユニクロの白Tシャツと黒スキニーはキマる。けれど、私が着るとどこか疲れて手抜き見える。その感覚に近い。

話を戻そう。

世の中には、カメラを変えずとも色んなスイッチをオンにできる人がごまんと居る。

要はわたしの「気分の問題」で、カメラの細かな機能は関係ないのかもしれない。現に、フィルムカメラもデジタル一眼レフも使わず、iPhoneだけで仕事の撮影をしている写真家だって存在する。

それでも、その些細な「気分の問題」をバカにはできないな、と思う。

浴衣を着たときに背筋がしゃんとするあの感覚を、たいせつに思うのと同じように。

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