「世界一周」という言葉を使わなくなった理由
ここ数ヶ月、自分の口から「世界一周」という言葉を使わないようになりました。プロフィール文からも消していました。
世界一周というとやっぱり、一筆書きで全大陸をまわるというイメージが強いと思います。ただし、世界一周という言葉に対して厳密な定義はありません。人によっては、数カ国訪れただけでも「世界一周しました」と言うし、訪れた国の数や、旅した期間で判断する人もいます。
そんな中、自分がやりたいことはなんだろうかと改めて考えたとき、必ずしも「一周」に憧れているわけじゃないことに気づきました。興味のある場所には長く滞在したいし、場合によってはスキップする国もあるかもしれない。全大陸を制覇したいわけではなく、自分が惹かれる国ととことん向き合いたい。
自分から「世界一周します!」と宣言し続けていると、その言葉に引っ張られて、第三者に「世界一周した」と認めてもらうためのルートを組んでしまうような気がしました。
せっかく会社をやめて、自分の願望と真っ向から向き合おうとしているというのに。実態の見えない「誰か」に認めてもらうために旅をするのは、なんだか違う気がしています。それでは、なんのために社会のレールから降りたのかわかりません。
好きな国にはとことん居たい。興味のない国には行かない。親不知が痛くなったら帰国するかもしれないし、痛くならなくても、寂しくなったら帰国するかもしれない。そしてまた旅に出ればいい。ルートが重複したっていいし、ときにUターンしてもいい。きれいな一筆書きでまわる必要なんてないはず。
そんなふうに、その時々の自分の願望に正直でありたいのです。今まで、人の顔色を伺い、誰からも認めてもらえる生き方ばかり選ぼうとしてきたからこそ。
ただ、誤解を防ぐために言うと、私以外の人が、私の旅を見て「世界一周」と呼んでいただける分には全然構いません。私の旅を「世界一周だ」と思う人もいれば、「こんなの世界一周じゃない」と思う人もいる。判断はその人に委ねます。
最近、「世界一周」という言葉をプロフィールから消していたのはそんな理由からでした。
「しばらく旅に出るんですよ」なんて言っても、そんなに驚かれることのない現代だからこそ。「長い旅に出ます」くらいの表現をしていこうと思います。
サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。