平熱で、いいじゃない。
なにかを続けることって、それだけで難しい。
最初はガッと燃えていても、その熱量だけで続けていこうとすると、ある日ぷつんと緊張の糸が切れて走り切れなくなってしまうこともある。
私は語学をやろうとすると、そのパターンに陥ってしまうことが多い。韓国語やフランス語は熱が長続きせず、あっという間に忘れてしまって苦い思いをした。英語圏以外の国に行こうとするときも、決まってその国の言葉を覚えようとするのだけど、結局帰国後つづけられない。
ダイエットだっていつもそのパターンだ。最初に気合いを入れて、その気合に自分で追いつけなくなって自滅してしまう。あとに残るのは敗北感と、空っぽになったソイジョイの袋だけ。
そんな私でも、過去にいくつか続けられたことがある。たとえば幼稚園から習っていたピアノは、9年ほど続けていた。そして文字通り、毎日練習していた。旅行や祖父母の家など、ピアノのない場所に泊まる日以外、毎日。
ざっと計算すると、約3285日間、来る日も来る日もピアノを弾いていたことになる。
この数字だけ見ると、「この子、ピアノが好きだったんだな」と思う方もいるかもしれない。でもそうじゃないのだ。私はピアノが大好きというわけではなかったし、どちらかと「練習しないと気持ち悪い」という感覚で毎日弾いていた。
ピアノを弾かずに眠ることは、ニンニクマシマシの二郎を食べたあと、歯を磨かずに眠るくらい気持ちの悪いことだった。それは「熱意」とか「努力」とか「愛」とか、そういう言葉とはちょっと違うタイプの感覚だった。
その感覚を久々に思い出したのが、先日最所あさみさんのお話を聞いたときだった。
「noteを毎日書かないと気持ち悪い。その感覚に至れれば、毎日更新できます」。
それを聞いて、なんだか少し気が楽になった。ものすごい熱量で、正論を世に問わなくても。誰かを感動させ、涙させようとしなくても。毎日平熱で続けること、それも1つの発信なのかもな、私に合ってるかもな、と思ったのだ(最所さんの言葉をかなり都合よく意訳してはいるけれど)。
というわけでこれからも粛々と、細々と、毎日なにかしら綴ってゆきます。平熱の、等身大の言葉で。