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生まれてこのかた、「憧れの職業」がない

小学生のころ「将来の夢」を書かされたときにすごく悩んだことを、いまだに覚えている。

「野球選手」「お花屋さん」「看護師さん」そういった具体的な言葉が並ぶなか、悩んだ末に「人の心を動かせるような絵を描きたい」と書いた。

子ども心に、「先生が求めてるのはこいう答えじゃないんだろうな」という後味の悪さがあった。具体的な職業としての「夢」が自分にはまったく思い描けなくて、なんだか一人だけバカなことを言っている気がして居心地が悪かったのだ。

ただし、「憧れの職業」がないからといって、「やりたいことがない」わけじゃない。

「絵を描きたい」という気持ちはほんとうだった。ただ、「絵描き」という職業は当時の私にとって届かない夢だと思っていたし、立場がサラリーマンだろうが専業主婦だろうが、未来の自分が良い絵を描いていてくれればいいなぁと思っていたのだ。職業や立場がなんであれ。


残念ながら、子どものころ直感した不穏な予感は当たっていた。私はそのまま年齢を重ねてしまい、小学生のころとまったく同じ違和感を抱えながら就活という地獄に突入することになった。

「就活における君の軸は?」
「なりたい職種は?」
「どんなキャリアを思い描いてる?」

そんな質問たちにたいして、とうとう最後まで一つも納得のいく答えが出せないままだった。


最近だってそうだ。

旅に出るためにいったん会社はやめて、帰国後に転職するつもりでいる。そういうと、「次はどんな仕事をするの?」とよく聞かれる。

正直なところ、職種や企業名で返事をすることができない。

「書くこと」「撮ること」の精度をあげながら、合間に長めの旅をしつつ生きていける道を模索したい・・・という思いはある。

・事業の内容に納得がいく
・風通しのよい社風である
・複業ができる

私にとってはこの3つが揃っていることが大事で、企業の規模や知名度は二の次、三の次だ。職種だって、今はコピーライターという名前で働いているけれど、「次もコピーライターで」とは思っていない。納得しながら働けるのなら、もっと違う職種だってぜんぜん構わない。

フリーランスに対しても思いは同じで、「フリーランス」という形態への憧れはないけれど、「もし自分の実践したい生き方とマッチするならば挑戦してみたい」というスタンスでいる。

こんなことをずっと頭ではモヤモヤと考えていたけれど人にはうまく伝えられず、いつももどかしさを抱えていた。

そんな中、昨日読んだ鳥居さんの文章がすとんと腑に落ちた。



僕ら昭和世代は、「そこに一貫性があるかどうか?」を判断するとき、外形的な要素で判断していて、たとえば同じ職業かどうか?同じ組織に属して、同じ事業を続けているかどうか?そこで一貫性を判断していることが多いです。

でも、今の若い世代は、たとえ職業や事業において一貫性がなくても、自分の中の「こんな風に在りたい」という個人のビジョンやミッションに忠実であれば、そこに一貫性があると判断する。

うんうんうんうん。読みながら、50回くらいうなずいた。

この文章を読んで、「憧れの職業がない」まま生きてきたことに対して変に恥じ入る必要もないのかなと思えた。

はたから見たらふわふわと一貫性のないことをしているようにしか見えないかもしれないけれど、私のなかでブレてないなら、きっとそれでいいのだろう。




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