【旅行】2023年11月 神奈川県旅行記 4日目 横須賀編 Part.2【国内】
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【旅行】2023年11月 神奈川県旅行記 4日目 横須賀編 Part.1【国内】
入り口の階段を登ると、そこは木材でできた甲板の上でした。
そして、船尾の方を向くと、そこには旧日本軍の軍旗でもある旭日旗がはためいていました。
甲板に上がってからは、水平の気分に浸かりながらも、周囲を歩き回る事に。
船尾の方に近付くと、猿島の連絡船ターミナルの姿がありました。
そしてさらに遠くには、横須賀新港ふ頭の姿が見えました。
ちなみに、停泊しているフェリーは、新日本海フェリーのグループでもある東京九州フェリーのカーフェリーです。
新日本海フェリーは子供の頃、夏休みに何度も乗った事があったので、実に懐かしいです。
こちらは三笠の主砲こと、40口径30.5cm連射砲。間近で見ると、やはり迫力たっぷり。
主砲は船尾に二門(上写真)、船首に二門設置されており、砲弾の重さは何と400kg。そして最大射程は12kmという威力を誇っていました。
この主砲の発射と操作には何と、40名の人員が必要で、この事から大変大掛かりな作業だった事が分かります。
こちらは副砲でもある、40経口15.2cm単装砲。何と、上甲板に4門、中甲板に10門も設置されております。
砲弾の重さは45kgと、だいたい現代の成人女性の平均的な体重と同じ。そして最大射程は9.1kmでした。
こちらはデッキの真ん中辺り。そこには目印でもある二本の大きな煙突が聳え立っており、煙突は間近で見ると迫力がありました。
そしてその足元には、当記事のヘッダー画像として貼ってある、画家の東城鉦太郎(1865年~1929年)が描いた、日露戦争中の日本海海戦において、Z旗を掲揚した直後の三笠艦橋の情景を描いた三笠艦橋之圖(大サイズ)が記念撮影用として設置しております。
他にも、上写真右においてある機械水雷も置かれており、こちらは日露戦争に使われていた物。
対水雷艇砲でもある40口径7.6センチ単装砲。こちらは補助砲として20門も設置してあります。
毎分12発という高い連射速度に加えて、当時の魚雷を上回る射程を誇っていました。
この同型砲は、後に建造された薩摩型戦艦と金剛型戦艦などにも搭載された他、太平洋戦争にかけてまで活躍しました。
怪我をした人員の治療などを行った救急室。
しかし、海戦での治療医務がとても壮絶な物だった事は、言うまでもありません(時代関係なく)。
さて、こちらは先程紹介した副砲の裏側です。
ハンモックが駆けられていますが、実際に副砲の砲手らは睡眠時と休憩する時は、ハンモックで寝て居ました。
何かあったらすぐ動けるようにする為でもあったのでしょうね。
船首の方から後方全体を眺める。
主砲だけではなく、高いマストも立派に見えました。
できれば、マストの上にも登ってみたかったな、と思うばかりだった私(高い場所が好きなので)。
艦隊と言えば、欠かせないのが信号探照灯。
所属する他の艦にモールス信号形式の信号を送ったり、夜に敵艦がいないかどうかを探ったり、色々な役割を果たしました。
ちなみに、初期の物は電灯ではなく、炭素棒を燃やして光源を作っていました。
艦橋と言えば、操舵室。
残念ながら、中への立ち入りはできませんでしたが、それでも全体を十分に見回す事はできました。
その後は東郷平八郎も指揮をとっていた艦橋の最上部へ。
ここには羅針盤が置かれていました。そして、その隣にある伝声管は、下にある操舵室と繋がっております。
この伝声管、サイズが良い感じだったので、こふゆちゃんをはめ込んじゃいました(笑)
せっかくなので艦長の気分に。
歩くだけでも、当時の水兵の気分に浸かれる甲板でしたが、実は現在の三笠の甲板の上に置かれているマスト、砲、煙突、艦橋などの全ての物は、昔から現存している物ではなく、復元品。
太平洋戦争時代は、アメリカ軍による横須賀の空襲では、奇跡的に被弾されませんでしたが、砲は取り外され、当時占領統治していたマーシャル諸島の防備用としての武装や、現役艦の武装として再利用されてしまいました。
敗戦後は、甲板の木材や館内にある数々の備品などが盗難・密売され、見るも無残な姿へと変わり果ててしまった上に、甲板の上にはダンスホールや水族館などが建てられ、見るも無残な姿に変わり果ててしまいました。
更には、日露戦争に負けた事を根に持ち続けていたロシアの後継国ことソ連は、本艦全体の解体を命令。しかし、ソ連と同じく連合国であるアメリカの軍の将校らの尽力によって、この危機を逃れました。
それから10年以上の時を経て、本艦は復元されて記念艦として生まれ変わり、今に至っております。
明治時代に建造され、数々の苦難や時代を生き抜いてきた三笠。甲板を見学した後は、下への階段を降りて、内部を見学する事にしました。
次回
【旅行】2023年11月 神奈川県旅行記 4日目 横須賀編 Part.3【国内】(作成中)