顔の見えない、うしろすがたの父としての「日本語」

「日本語とは、"国語"とはなんなのかを問うことなしに、あらかじめJISコードで用意された文字体系を使って書き続けることを自分にゆるせないな。さあどうしよう」というのが、最近の、文筆業12年目での考え事である。

山川菊栄の手稿を見た時の衝撃を覚えている。山川菊栄は婦人について考え、語り、書いて、書いて、書き続けた、その先に、「婦人」ということばを一字で表す略字を編み出してしまっていた。

ある言葉に対して新しい文字を生み出してしまうほどに思考したことがあるか。書き続けたことがあるか。キーボードを叩き、view数を気にする、このように書き続けてしまうことでわたしは何のうちに安住し、何のうちに飼われてしまうことになるのか。

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