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部活動の思い出①【高校弓道部・思い出編】
昔を懐かしむことはあまり好きではないけれどたまに、懐かしみたくなる期があるから、今日はいいよね。
私は高校弓道部だった。理由はインターハイに行きたかったから。なんでインターハイにこだわるかというと、2つあって
①高校2年生の時のインターハイ開催県が沖繩だったから。
②姉が弓道でインターハイに行ってたから
姉はインターハイ予選、39度の高熱を出したけどド根性魂でインターハイを勝ち取った。恥ずかしくて姉には言ってないけれど当時インターハイに応援に言った私の目には、姉が輝いて見えた。姉は必死に練習した姿を私に見せてはいなかったけど、誰よりも練習して試行錯誤をしたから本番で力出して結果を残せたのだろう。
で、だ。
私は何をモチベーションに頑張ったのかは覚えていないけど(おそらく当時から私にモチベーションという言葉はない)はるか上の偏差値の姉の高校目指して勉強して同じ高校に入れた。そして姉と同じ顧問の先生に弓道を教えてもらうことができていた。
1年間はとにかく先生に見てもらって、見るたびにこうしたほうがいい、今のはすごくいい、癖なくて綺麗です、ここはこうなるから、こうしたほうがいい、と、その時求めているものにとにかく的確に教えてくれた。
先生は大学でも弓道のことを研究していて、教師になってずっと弓道部にいる。不調になる構造、なんで当たるのか、なんであたらないのか、のデータが頭の中に入っているのだろう。1年は試合でテンパってしまってばっかりだった。わかってはいたけど自分はあがり症なんだなって自覚した。
2年生の時、顧問の先生が変わった。弓道には流派があって、2つ、正面と斜面。弓道用語だから詳しく説明すると長くなるけど、要は1年の時の先生と、2年になってから顧問の先生が変わって、流派が変わってしまった。
がくん。。。。
と、おちこんだ。人生でいちばん落ちこんだかも知れない。
つざわ先生、という国語の優しい先生だった。今思えば、本当につざわ先生に出会ってよかったなと、心の底から思う。
つざわ先生は、なかなか指導にこない風潮の弱点をすぐ見抜き、生徒との距離を近くしてくれた。
(これまでの先生は、師匠と弟子のような関係)
そして、新しくキャプテンになる私のことを一番信頼してくれた。私のことを本当によく見てくださった方だ。
なんていうんだろう。
よく見る、というと、見ているだけ、お節介のように指導してくる、という印象だったけど、つざわ先生は、私の性格・癖・性質の原液を見抜いてくれていたように思う。ここまでは私に口出していいけれど、ここからは自分で考えたほうがあなたの為にもなるよね、という感じで本当に良い距離を保ってくださっていた。今いらっしゃれば飲み明かしたい方の一人です。
それから、つざわ先生の柔らかで芯の強い組織改革(雰囲気改革に近い)をしてくれて、無事インターハイに出場できた。
インターハイまでに行くために努力したこと7つはまた書こうと思うけど、ドラマがあって、今思い出しでもすごく良い宝物の思い出です。
#インターハイに行くために努力した7つのルール
・指導する人
・指導される人
・その場の雰囲気
・TOPに立つものとしての自覚
・練習の向き合い方
・メンタルコントロール
・力を発揮できるポイントを知っておく
また、次回書きます〜
#インターハイ #7つのルール#ルールシリーズ