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【青葉市子】15th アニバーサリーコンサート京都劇場 ネタバレなし編

まだ東京公演が終わってないので、曲も含めてネタバレは伏せます。でもどうしても先に書いておきたくて。

2025年1月13日京都劇場で、青葉市子さんの15周年記念コンサートが開催されました。
今回、私は前から三列目の端の方のお席でした。
前の方で拝見するのは、はじめて。

市子ちゃんを象徴するようなすごく印象的な出来事がありました。
1〜2曲目が終わったあたりかな、ギターの先に糸くずか何かが付いてたようで、それを「きみはここにいたいのかな?」とそっとつまんでみる市子ちゃん。
そしたら簡単に取れたようで、「あ、離れたいんだね」と言ってよけてらして。きっとくっついてたら、無理やり取らず、そのままにしていてあげるのでしょう。

見えるものも見えないものも、ぜんぶぜーんぶ、大切にしてあげる感じ。なんか、わかりますか、この感じ。
あーもうこれが市子ちゃんだわ。
そりゃもう世界が、天が、万物が、味方するはずだわと、思いました。

そして、間近で見るのは初めてで、より近くで演奏を拝見したわけですが、彼女のその演奏にあらためてびっくりしました。
もちろんファンなので、わぁ〜って思いながら見て聴いてたわけですが、その気持ちとは別のところでふと、私は我にかえって、「あ、この人、マジの天才だわ」って、思ったんです。(この人って言い方が失礼でごめんなさい、でもなんていうかめちゃくちゃ敬愛をこめた、この人なんです)
そのくらい、我にかえっちゃうくらい、冷静に客観的になっちゃうくらい、天才だった。
きっと、ファンじゃなくて心の距離が離れてたとしても、彼女の演奏を見れば、あ、この人、天才の人だって思っちゃうと思うのです。

その技術的なことはもちろんのこと、他の演奏者とは明らかに違う、何かを持っている、というか、降りてきてる、とでもいうべきか…。

市子ちゃんの身体はまるで楽器のようで、市子ちゃんの違う部分が、市子ちゃんの身体で演奏してる感じがしました。なんていうか、音楽そのものになっている感じ。
だから、音程もブレないのかな、というかもはや音程なんて概念は存在しないような。
ギターを弾く振動すら伝わってくる席で、そんなことを感じました。

お客さんは、私も含めて1人で来てる方が多い印象で、老若男女かつ多国籍でした。左隣の席の男の子が、限定のトートバッグをゲットしていて、見せてもらったのがいい思い出です。私の質問にニコニコとのんびりしたテンポで答えてくれて、あぁ、市子ちゃんファンの男子ってこういう感じなのねと、こちらもほっこり。
右隣の男性は、50代後半くらいだったかな、拍手を少し高い位置で大きくして、すごく楽しんでらっしゃって、なんかよかったです。私も遠慮なくワァーって拍手できました。

やーすばらしいコンサートでした。
この日から毎日、この余韻のなかに、私の暮らしがあります。なんて幸せなことなんでしょう。

とても良い思い出になりました。ありがとう。

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