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壁にかかったままのカレンダーは2006年11月。
実家の私の部屋だ。
帰国のたびに目には触れてきたので、決して目新しくない。そのカレンダーに、今回はなぜか吸い寄せられた。前に立ってよく見ると、月末の30日のところに「Big Island」(ハワイ島)と手書きしてある。
デイヴィッドと結婚し新生活を始めるためにハワイ島に発ったのがこの日だったのだろう。(すっかり忘れてた。)
それで、はたと思った。
「この部屋は、あの日から時間が止まっているんだ…。」
カレンダーには、他にもところどころに予定が書き込んである。18年前の私の予定だ。あらためて部屋を見渡すと、当時聴いていたCDや読んでいた本もそのまま残っている。
ただ、出窓に飾った写真だけが、何が映っているか分からないくらい色褪せていた。そんなにも時が流れたのだ…。
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ここに住んでいた当時の私が何を考え、何を大切にしていたかが、CDや本から伺える。いや、人としての成熟度まで透けて見えるようで、思わず苦笑。
「あの頃の私は、なぁーんにも知らなかったなぁ。」と。
あのあと私を待ち受けていた様々な出来事には、当時の私の想像を超えることが、それはもう、いっっっぱいあった。嬉しいことも、辛いことも、困難なことも、理不尽なことも。
ほんの少し例を挙げるとしたら…
京都で生まれ育ち、それ以外の土地で暮らしたことのない私が国際結婚をし、相手の国(アウェイ)に住むとは、どういうことなのか。新しい世界に飛び込むと、ワクワクや喜びだけでなく、痛みも伴うということ。そういったことを、まぁったく知らなかった。(だからこそ、飛び込めたのだけど。)
もしかすると「新しい世界」という意識すらなかったかもしれない。日本で私に備わった常識とか正義、感覚が通じない?理解されない?そんなこと考えたこともなかったのだから。
まったく無防備なままこちらへ来て、アメリカ人の想定外の言動に動転して反応できなかったり、深く傷つくこともあった。
当然、言いたいことはあったけれど、的確な英語が瞬時に出てこない。私が言葉を探している間に相手は言いたいことをペラペラと出し切って、スッキリする。一方で私は、相手の英語に途中でついていけなくなって、会話から脱落。虚しく、惨めだった。言いたいことが伝わらないのだから、自分の考えや大切にしていることが理解されるはずがなく、置かれた状況に何度も悔し泣きをした…。
けれどそのお陰で学んだことも大きい。
まずは、よく言われる「アメリカは個人主義の国」の意味が、文字通り痛いほどわかった。個人主義とは(誤解を恐れずに言えば)「自分さえ良ければ」なのだと。先ほど書いた「アメリカ人の想定外の言動」のほとんどが、これだった。なぜ悪びれることなくそんな風にいられるのか、まったく謎だった。けれど、この「なぜ?」の答えはずっと後に「そうか!」と大きな気づきとともにやってきた。詳しくは別の機会に綴るけれど、日本で暮らしていたらまずできない体験から答えが得られた。
もう一つ学んだこと。それは、これまでいかに言いたいことを言わせてもらってきたか、それがどれほどありがたいことかを思い知った。もっと謙虚に、感謝すべきことが身の回りにたくさんあるというメッセージに思えた。
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…そんなこんなを何にも知らない私がこの部屋に住んでいたのだ。当時の自分が微笑ましくもあるし、未熟さもチクッと感じる。そして何より、泣き笑いしながら強く強く、逞しくなれた。これは、自分を褒めてあげてもいいかな、と思う。
ただ、これからも色々あるに違いない。いつの日か今の自分を振り返って苦笑いするのだろう。