「母を救った奇跡の白い猫」
ミューとの出会い
初めてミューを見たのは、朝日放送の旧社屋、大阪タワーの下に捨ててあった、段ボールの中でした。私は「おはよう朝日です」のコーナー担当ディレクターをしていたため、朝6時に大阪タワーに向かっていました。吐く息が白くなるぐらいの寒い朝、5匹ぐらいのネコが箱の中で、「ミャーッ!ミャーッ!」と悲鳴に近い鳴き声を上げていました。急いでいたのでそのまま置き去りにしてしまいました。
番組が終わって、再びその場所に戻ってきたときは、段ボールは無くなっていました。「誰か親切な人に拾ってもらったのならいいな」と思いながら、ふと向かいの喫茶店に目をやると、出前の食器を戻したのでしょうか。扉の前にあったコーヒーフレッシュの小さな容器を震えながら舐めている真っ白い子猫がいました。
その猫を私は一人暮らしのマンションに連れて帰りました。
ミューと私は3~4年ほど一緒に過ごしました。
私は当時、毎日、「おはよう朝日です」の生放送についていたので、ミューは早起きでした。毎朝5時30分が近づいて来ると私の胸の上にのり、じっと私の顔を見ます。それでも私が起きないと、ペロペロ顔をなめてきます。それも無視していると、鼻を噛んできました。目覚まし時計のようなネコでした。休みの日まで早朝に起こされるのは迷惑でしたが、その時間に餌を欲しがるので仕方がありませ
ミュー神戸の実家へ
ある年末、1週間ほど旅行に行くので神戸の実家にネコを預ける事にしました。
母「ネコねぇ、家を傷つけるし、毛だからけになるから掃除が大変。」
と渋い顔。しかし、1週間後、旅行から帰ってミューを迎えに行くと両親が驚くほど変化していました。
帰って来た私より、ミューの世話に夢中。
母「ミューは、これが大好きなのよ」
エサは私の持って来た固形の物に、イリコと缶詰をブレンドした手の込んだもの。
母「ミューちゃん、暖かい所が好きだから」
電気毛布をたたんだ特等席までありました。
ミューにメロメロになってしまっていたのです。
ふと庭を見ると塀になにやら細くて長いスロープのようなものが。
私「まさか・・・「あれ何?」
母「こないだ、ミューが野良猫を追いかけて、塀に登ったのよ。でも降りれなくなって、ずっと塀の上で『ミャ~~~ミャ~~~』って鳴いて、近所中で大騒ぎ!」
私「じゃあ、あれはミュー専用のスローブなの?」
母「そう。お父さんが作った。ちゃんと滑り止めに割りばしをハシゴみたいに付けてるねんよ」
たしかに、大阪の私のマンションの部屋から出たことが無いミューにとって「塀に登る」というのは未体験の挑戦。それにしても過保護すぎやしないか?
母「大阪に帰ったら、また狭いマンションだから寂しいよねぇ。」
ミューをなでながら、孫以上に可愛がっている様子を見ていると「このまま、私が大阪に連れて帰ったら、悲しみのあまりボケるのでは?」と思ったほどです。
そこで、もう少しだけ、ミューを神戸の実家において帰ることにしました。
その日は突然やってきた
それから2週間後。1995年の1月17日。あの日がやって来ました。
神戸の実家では父が風邪をひいて2階の私が使っていた部屋で寝ていました。母は1階の和室で寝ていましたが、いつものように、5時30分にミューが布団の上に乗ってきました。
母「ミューちゃん寒いし、もうちょっと寝よう。イタタ、鼻噛まんといて。」
ミューにねだられて、玄関の土間でエサをやり、食べるのを見守っていました。
そのときです。5時46分52秒。ガタガタガタ、バキバキバキ、ドーン、ガッシャーン
「わあ!!!!」
阪神淡路大震災でした。
母は・・・無事でした。幸い玄関の土間は柱が多く出口がすぐだったので瓦礫の隙間から、すぐに這い出すことができました。
母「パパは?ハパ大丈夫?」
2階の父も幸い無事でしたが、階段で降りようとした父の足元には、あるはずの階段が無く、2階の窓から顔をだした父の近くに母の顔がありました。
実家の1階はぺしゃんこに押しつぶされていたのでした。
もしもあのときまだ母が1階の和室で寝ていたら、大けが、命さえ落としていたかもしれません。
ただ、その時、ミューがいなくなっていました。
母は、もう一度玄関から瓦礫の中に入ろうとしたのですが、「ガスが漏れてて臭い!避難しよう」と父に促され、しぶしぶ家を離れ近所の駐車場の車の中に避難しました。
いなくなったミュー
当時、携帯電話はありません。私がようやく両親と連絡が取れたのは震災から3日目でした。私の留守番電話に「お父さんも、お母さんも命は無事。でもミューがねぇ。いないのよ。ミューちゃん!って何度も呼んで、餌もまいてるのだけど。餌も食べて無いのよ」
震災から10日、私は瓦礫となった実家に帰りました。 「ミュー・ミューでておいで」と何度も声をかけましたが 暗い瓦礫の中は何の気配がありません。きっと何かで頭を打ったり挟まれたりして死んでしまったのだ。そう思ってお線香をあげました。 「ミュー、お母さんを守ってくれてありがとうね」
その 4日後のことです。
母から留守番電話が入っていました「ミューが生きてた!ガリガリに痩せて出てきた!」
その声を聞いて私は手が震え、涙が溢れました。2週間も瓦礫の中に閉じこもっていたのです!奇跡の瞬間でした。
ミューとの再会
少し仕事がおちついて、私がようやくミューに会いに神戸に帰れたのは、発見から10日以上後の事です。その頃両親は近所の空き家に仮住まいさせてもらっていました。私がその家に行って「ミュー!」と呼ぶと ミューは「ニャ~ん」と子猫のような甘えた声で駆け寄ってくれました。
ところが ミューは震災前よりもまるまると太っていたのです。
私「あれ?ガリガリに痩せたって言ってなかったっけ?」
母「そうやねん、近所の人が『かわいそう』って、みなエサを持ってきてくれるから、こうなった(笑)」
ミューはその後正式に実家の猫として迎えられ「奇跡の白いネコ」として近所の人気者になりました。
両親は相割らずミューを溺愛しました。父が亡くなり、母も痴呆が進行していよいよ施設に入る事が決まった時、ミューはひっそり姿を消しました。自分の役目が終わったと感じたのでしょうか。
ミュー本当にありがとうね。
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