8月のこと
小さい頃から8月が好きだった。
私の誕生日、お父さんの誕生日
お父さんが、77年前に命拾いをした月
77年前(終戦の年)、お父さんは大阪にいた。
6月の大阪大空襲を大阪岸和田から尼崎までの帰路で遭遇し
大和川の河原にへばりついて、生き延びた。
たくさんの思い出や大切なものが
リュックと共に焼けた
そして、8月2日誕生日に数えで20歳になるお父さんに
ついに召集令状が来た。終戦のほんの2カ月ほど前のこと
兵隊になる=死ぬ
お父さんは、その時北海道小樽にいた母親に、最後のお別れをしようと小樽に向かった
小学4年生で離ればなれになった、母親
最後に会いたいと思ったのが、お父さんの運命を決定づけた
列車は、何度も空襲のため停車
お国のために!!バンザイ バンザイ!!
召集令状に背くことなど言語道断
そんななか、お父さんは
8月2日、高槻訓練所の集合に遅れてしまった
8月13日、ようやく訓練所に駆けつけた時には
もう、もぬけの殻・・・
事務所の人が、「全員、鹿児島に行ってしまったので
しばらくここで待つように」とだけ
ひとりで訓練所に残り
15日に終戦
鹿児島に送られた20歳の兵隊さんたちは
ほぼ全員戦死した
終戦間際に、みさかいなく召集した兵隊さん
戦争を通して、最後に亡くなった人たちの数が
一番多かったと聞いた
お父さんは、呆然として思ったという
勝ち目のないバカげた戦争の、何が一番大事だったのか
人間の命よりも勝つことが大事だったというのだろうか
8月を迎えると、いつも思う
せっかく受け継いだ命
無駄にできない
そして、もうひとつ加わった
4年前お父さんが亡くなった月