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【京都SM官能小説】縄宵小路 #16

第三章「調(しらべ)」其の四

「高辻さま、お疲れ様でございます、少し早く着いたもので・・」

「いいんですよ、気にしなくて」

高辻は優しく微笑みながらそう言った。彼が席に着いて距離が近づく。今日もふんわりと香水の良い香りがした。私はもう一度お辞儀をしてから席に座った。

「高辻さん、いやぁ、お久しぶりですぅ」

着席するとすぐにシェフがソムリエと思われる男性を従えて入ってきた。関西弁の抑揚は気持ちがとてもよく伝わってくる。シェフと高辻は気心知れた仲のようで二つ三つ他愛もない内輪話を交わすと

「ところで高辻さん、
 今日はええスプマンテ入れといたんやけど
 どうされます?」

高辻は小さく頷くと私に聞いた。

「白石さん、お酒はいけるのかな?」

「あ、いえ、あの・・一応勤務時間中なので・・」

どう答えれば良いのか分からず、しどろもどろになってしまう。

「ということは『の・め・ま・す』ということだね」

悪戯な表情で返された。

「あ、あの・・では・・少しだけ・・」

と指で少しのサインを作りながら答えた。まだ飲んでもいないのに顔が赤くなってしまう。

「ということや。今日は頼むよ」

「はーい、任しといてください!
 ではどうぞごゆっくり」

シェフは剽軽に腕を叩いてポーズを決めたあと、丁寧にお辞儀をして厨房へ戻った。高辻とシェフとの何気ない会話だったが、随分緊張が解れた。

すぐにスプマンテが運ばれてくる。高辻のテイスティングのあとソムリエが洗練された動作で二人のグラスに美しい泡を注いだ。

「ようこそ京都へ」

彼のその言葉になんだか急に京都に来たことを実感した。小さくグラスを合わせて乾杯してもらい、シャンパンゴールドの綺麗な液体を小さく口に含んだ。目の前に美しい花や果実が振る舞われたように華やかな香りが広がった。ほんの一月ほど前、生きることに困窮していたことを思えば天国かと思うようなひと時だった。

「高辻さま、この度は私を雇って下さり、
 本当にありがとうございます」

改めて心を込めて感謝の気持ちを伝えた。

「いろいろ大変だったそうだね・・
 高筒庵の仕事の方は慣れましたか?」

大変だったことは青山さんから聞いて知っているのだろう。そこには触れないようにするためか話題を変えてくれた。

「それと・・これから毎週会うことになるから、
 『高辻さま』は止めようか」

笑いながら私を軽く嗜める。

「あ、はい・・・ええと、
 では、どのようにお呼びすれば・・・」

「『高辻さん』、難しい?」

「かしこまりました、高辻さま・・
 ・・ん?・・あっ・・」

「『さま』が取れるまではかなり時間がかかりそうだなぁ」

彼はそう言いながら赤面する私を見て楽しそうに笑っていた。

美しく色鮮やかに盛り付けられた前菜が運ばれてくる。テーブルがより一層華やいだ。そこからしばらくは楽しい会話が美味しいお酒とお料理に花を添えた。高辻は想像していたのと全く違い、とても話しやすく聞き上手だった。好きな食べ物や服のブランドのことから読書や映画などの嗜好、性格や考え方、子育てや人間関係のことまで、彼は話の流れを途切らせることなくいろいろなことを聞いてくれた。先日青山さんに悩みを打ち明けた以外、私自身のことをあれこれと誰かに話す機会などもう数年単位でなかったかもしれない。気がつくと、今日ほぼ初めて会話を交わしているというのに、まるで気心知れた知人を相手にしているように自分のことを晒け出していた。
高辻との時間はそれほどに心地よく、何よりも彼が自分のことを知ろうとしてくれたことが嬉しかった。

つづく

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