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【京都SM官能小説】縄宵小路 #12

第二章「奇縁」其の二

その喜びも束の間だった。出産費用や住居費、生活費などで貯金はそこを尽きかけていた。もうだめかも……。

そう思った矢先、ある男性の顔が思い出された。学生時代にお付き合いしていた10才以上も年上の青山さんという男性だった。まだ若かった私に人生のいろいろなことを教えてくれた人だった。結婚する際も祝福してもらい、結婚後も数えるほどだが気にかけて連絡をくれていたものの、お互い結婚しており、会うことは一度もなかった。そんな相手に頼るのは虫が良いともおもったが、子供の命には変えられないと決心し連絡した。

二十数年ぶりに再会することになり、青山さんから指定された表参道のレストランに向かった。四方山話を終え、経緯や現状を話すと、少し時間をくれ、必ず連絡すると言われその日は別れた。疎遠になっていた私に優しく接してくれただけでも嬉しかったが、生活の支援まで期待することは諦めていた。

数日が過ぎたころ、青山さんから電話があった。

「京都に行けるか? 良い条件で働けそうな先があるんだ」

「行けます」

私は即答した。

それなら後でエイラクさんという人から連絡が入るから指示に従うようにと言われた。オマケのように家政婦のような仕事だと付け加えられた。救われるかもしれないという期待で飛び上がるように嬉しかったが、落ち着いて最大限に感謝の意を伝え電話を切った。昔からの知り合いの家だと言っていた。でもいったい何故京都なのだろう……。そう考えているときにふと、私が京都を好きになったのは、学生時代に青山さんに連れて行ってもらった京都旅行がきっかけだったことを思い出した。程なくしてエイラクさんから連絡があった。出来るだけ早い日程を希望し、京都へ向かうことになった。

どういう風の吹き回しか、京都行きの当日も青山さんは品川駅で私を見送ってくれた。しかも往復の新幹線まで手配してくれて……。また会いたかっただけと言い訳していたが、本当は困窮していた私を見かねて交通費を支援してくれるためだったのかもしれない。昔もよく粋な大人だと思っていたが、それは二十年以上経ったいまも変わらなかった。ひとつだけ小さな不安があった。それは二十才そこそこの心も肌も汚れの無い私しか見ていなかった男性が、二十余年の時を超えた四十路の私と対面した感想だった。その日はそれを聞くこともなく新幹線に乗り込んだ。

京都駅に着くと立派な迎車が用意されていた。一介の家政婦にそこまで、と恐縮したが、断れる理由もなく広々とした後部座席に乗り込んだ。久しぶりの京都だったが何度来ても高揚感と少し懐かしさを感じるのが不思議だった。車窓から外をぼんやり眺めているうちに、三十三間堂、八坂神社、南禅寺などを過ぎ、京都でも屈指の高級別荘エアリに入った。まさか、と思った矢先に車は東京では見たこともないような立派な石垣と竹林を擁する広大なお屋敷の門に吸い込まれていった。

新しいラグジュアリーホテルかと見紛うような立派な母屋の前に車が止まると、70歳ほどであろう男性が笑顔で迎えてくれた。さんだった。一通りの説明を受けたあと雇用契約書というものが提示された。難しい言葉で書かれていたので細かく覚えている訳ではない。ただ、永楽さんが、強調して説明してくれたこの文章だけは覚えている。

”週の勤務日数のうち、半日から一日程度、雇用主の指示する業務に従事すること”

”如何なる場合も雇用主の指示に従うこと”

少し不思議な感覚もあったが、特に拒絶するような内容ではないと思った。
それよりも驚いたのはお給料だった。相場がわからないのでなんとも言えないが、私が望んでいた金額よりは随分と高額だった。永楽さんは金額に驚く私に気づいていたと思うが、淡々と説明を続けていた。

不安もあったが、あらゆる意味で私にこれを断る選択肢はどこにも無かった。これで幼い子供を守れる。不安から解放された安堵感からか涙が溢れそうになった。永楽さんが説明してくれている書類の文字が涙で霞んでいた。

一通りの必要な手続きやご挨拶などを終えると、この日は子供を預けていたので夕方の新幹線で帰路に着いた。

幼い子供と路頭に迷いそうになっていた私を雇い入れ、十分過ぎるほどの環境を与えてくれた高辻や彼を紹介してくれた青山さんには感謝しかなかった。これからどんなことがあっても頑張らなければ。車窓を流れる景色を眺めながらそう誓った。

第三章へつづく


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