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心とは。精神とは。そしてあらゆる力とは。

そう、何もかもがどうでもよくなってしまう時がある。
いわゆる自暴自棄と呼ばれる現象だ。
これに陥ったら最後、ご飯は勿論、着替えやシャワー、お手洗いに至るまで億劫に感じる。
しかし本来は綺麗好きであるので這ってでもやる。

こんな時期が自分に訪れるなんて若い頃は夢にも思わなかった。
身体が言うことを聞かないのだ。
決して堕落しているわけでは無い。
泣きながらご飯を作り、食べる。
泣きながら、シャワーを浴びて、泣きながらメイクし、泣きながらお洋服を選び、ヘアメイクをする。
ふと鏡を見ればそこには現実の30代の半ばを過ぎたリアルな女性、つまり私が映っている。


令和7年徳島県某所

なんて酷い顔だろうか。
己の信念を覆す出来事を経験すると、こんなにも一気に疲れ果てるのか。
なんとか化粧で誤魔化す。

思えば誤魔化し続けてきた人生。
信念を貫き、誇り高き女性に憧れた。
弱っている時ほどそんな人は輝いて見える。

そう私は力が欲しかった。
今も正直に言えば欲しいと思っている。
あらゆる力だ。
経済力、精神力、気力、体力、それに伴う人間力

拳を突き上げ、己の信念を主張し、それがどんな形になったにせよ、自らの意志を貫き通し、例え凶弾に倒れたとしても
その死に悔いはないといえるのではないでしょうか

対して私はどうであろうか?
結局は歯を食いしばらせ、唇に血が滲み、
握り締めた拳を振り上げる事も出来ずに、

ただただ悔しくて自分の太腿を叩いていた。
なんという情け無いことよ、
今までの人生どれかたった1つでも成し遂げた事があるのかと己に問いたい。


向こう岸に淡路島が見える

心というのはどこにあるのだろう?
よく映画や小説等では
「胸がドキドキする」「胸が痛む」
といった描写が出てくる。
この場合まさに胸=心臓あたりが痛む気がするし、私自身も経験がある。
心というのもこの辺りにある気がする。

では精神では?
潜在意識、精神崩壊、こうなってくるともうそれは脳つまりは頭の中、というイメージがある。
夢というものもまさに
この潜在意識が関係している気がする。
夢というのはコントロール不能。
どんなに良い夢でも悪い夢でもいつかは覚めてしまうもの。
それはある意味では救いでもある。

令和7年元旦の初日の出
今年はどんな年になるのでしょうか?


救いというのは普遍的、つまりは不死であって欲しい。
私はそう願っている。
                   yurika


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