阪神淡路大震災から30年
もう30年もたっちゃったんですね・・。
月日が経つのは早いね。
あの日の前日。
私は仕事が遅く、夜10時前に帰宅したので遅めに寝た。
翌日出勤は9時だったと記憶している。
明け方・・ベッドが凄く揺れた気がして目が覚めた。
天井からぶら下がっている電灯が、左右に大きく揺れて、ベッドもそれに合わせて揺れていた。
あまりにも疲れていたので、そのまま眠ってしまったのです。
そして・・出勤しようと起きてテレビをつけたら・・。
全部のチャンネルが、炎があちこちから出て、建物が倒壊している映像。
え?何これ?映画?ニュース?いつ?どこ?海外?日本?
え?うそ・・。どこ??
と・・???いっぱいで、ひたすら画面を見て固まっていた。
画面には、【神戸、大震災、地震、火災】などという文字しかない。
「神戸でこんな地震があったん??もしかして、あの揺れは・・。」
と、一瞬でたくさん脳が働いた。
そうすると・・【神の戸が開いた】
思ったのか?聞こえたのか?わからないけれど、何かが始まる予感がしたのは間違いありません。
急いで会社に行って、建物の崩壊点検と、お客様の安全確認と予約状況確認。本社からの対応。など・・めまぐるしく忙しい一日を過ごした。
本社の上司からは、
「大丈夫か!生きてるか?お客様は?建物は?みんな出勤できてるか?」
と・・何度も連絡があった。
建物には、ひび割れが何か所かあって、修理しないといけない所があった。
道路のひび割れや陥没、崩落がないか?などもチェックしつつ。
ニュースを見つつ、いろんな事を考えた。
しばらくは、お客様の予約受付は中止。
大好きだった神戸が一瞬にして崩壊した。
一瞬で壊滅した街の映像を見て、大きなショックを受けたのを覚えています。
でもね。
その後、ボランティアに行かせてもらった町の人達は、優しくて、温かくて、穏やかで、我慢強くて、深い愛情と思いやりを持った人がほとんどでした。私は何をしに行ったんだろう・・と思い、強さや優しさのある人とは、この人達の事を言うんだな・・と強く思って帰ってきた。
「ありがとう。」
という言葉の重さと、心の温かさは、どこにもないものだったし、
今までのありがとうとは重さが全然違うものだった。
日本人は本当に強いと思ったのも、この時だった。
ボランティアに行かせてもらった、たった数日の思いが今でも深く刻み込まれています。人は優しくて強い!
助け合う事がどれだけ強いか、凄いかを思い知らされた震災でした。
きっと近い将来。ホントに近い将来には
南海トラフの巨大地震がやってくるでしょう。
準備をしていても、何も持ち出せないかもしれません。
きっと持ち出せないでしょう。
それでもいい。目のまえにいる人達と協力して命だけを守りましょう。
命が守れたら、必ず次の方法があるはず。
生きていたらどうにかなる!
周りの人と協力しないと生きられなくなる。
そう心の中で思っています。
巨大な震災や津波は怖いけれど。
怖いばかり言っていても、良い未来はやってきません。
日常の生活やお仕事をしつつ、常に命を守ろうと思って日々生きることが
大事だな・・と思います。
今日のこの日に、改めてそう感じたのも震災のおかげです。
阪神淡路大震災はじめ、あちこちの震災で失った尊い命の鎮魂を
心からお祈りいたします。
合掌