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アーモンドプードル
静かな秋の陽射が、天井まで届く背の高いガラス窓から図書館のなかへ降り注ぐ。私は一冊の詩集を、本棚の傍の小さな椅子に腰掛けて読んでいる。『さいごのグランマニエ』と題されたその詩集は、お菓子をテーマにした詩を編んだものである。
クッキーの詩を読みながら、ところでクッキーってどうやって作るんだろう、と私は思った。特にこの挿絵にあるような、白と黒の市松模様のクッキー。白も黒も互いに入り交じることなく、チェス盤のように毅然としている。
思案しながらページをめくると、そこには「アイスボックスクッキーの作り方」と書かれており、そのタイトルの通りアイスボックスクッキーのレシピが記されていた。材料は小麦粉、卵、バター、砂糖、ココアパウダー。白い生地と黒い生地をそれぞれ作り、一度冷し固めてから形成することで、市松模様を作ることができるらしい。
レシピの最後には、次のような註がついていた。
「小麦粉の量を減らして、アーモンドプードルを使うと、より香ばしく、軽い食感に焼き上がります。」
私は本を閉じた。いつの間にか詩集は『お菓子作りのABC』というレシピ本に変わっている。背の高いガラス窓は消え、立ち並ぶ本棚は穏やかな光を直に受けている。私は本を本棚に返却し、図書館を後にした。
アイスボックスクッキーは、家にある材料で作ることができそうだ。ただ、アーモンドプードルだけは新たに用意しなければならない。私はスーパーマーケットに寄ることにした。
お菓子を自分で作るのは、これが初めてだ。だから、スーパーマーケットのどこを探せばアーモンドプードルが見つかるのか、よく判らない。取り敢えず、今までは馴染みの無かった製菓用品売り場に行ってみることにした。
ベーキングパウダー、ドライイースト、シナモンパウダー、チョコレートチップ。製菓用品売り場の棚を端から順番に確かめていく。「アーモンドプードル」の札が下げられた一画は、比較的すぐに見つけることができた。しかしそこにアーモンドプードルの姿は無く、代わりに「ただいま散歩中」と書かれた小さな板が立てられている。
仕方が無いので、製菓用品専門店へ向かう。少し歩かなければならないが、美味しいクッキーのためである。お菓子作りをしたことの無い私が、一体どうして製菓用品専門店の場所を知っているのか、私にも判らない。
専門店にはスーパーマーケットでは見られない種類の粉がたくさん並び、銀色に光る焼き菓子の型が壁一面に吊るされていた。店の奥は板張で、そこだけ人間の膝丈くらいの高さの段になっている。その板張の上で、小さなプードルたちがじゃれ合ったり、伏せて眠ったりしていた。
「何かお探しですか。」
私がプードルたちを眺めていると、白いエプロンを着けた店員が話しかけてきた。
「アーモンドプードルを探しているんです、クッキーを作りたくて。」
店員はプードルたちの方へ向き直り、「クッキーでしたら、こちらのアーモンドトイプードルがおすすめです」と茶色のプードルを両手で持ち上げた。
それは確かにアーモンドのような茶色のプードルであった。他のプードルたちとじゃれ合っているところを突然引き離されたアーモンドプードルは、憮然とした表情をしている。
板張の上のプードルたちは、多少の濃淡の違いはあれど、ほとんどが皆アーモンド色をしている。一匹だけ白いプードルがいたので「白いアーモンドプードルもいるんですね」と私が言うと、「あれはココナッツプードルです」と店員が言う。
店員のおすすめプードルを連れて帰りたい旨を伝えると、彼女は私をレジまで案内した。レジに向かう途中、かなり大きなアーモンド色のプードルが店内の傍に座っていた。
「あれはアーモンドスタンダードプードルです。お店を持たれているパティシエの方がよくお求めになられます。」
大きなプードルを眺める私に、店員はそう説明した。
アーモンドプードルのフードとおもちゃをレジで受け取ると、私はそれらをリュックに入れた。そしてアーモンドプードルを胸の前にかかえ、店を出るう。アーモンド色の毛並はつやつやとして、顔を近づけるとほのかにアーモンドの香りがするような気がする。
スーパーマーケットのある通りを真っ直ぐ進んでいると、向うから似たようなプードルがやって来るのが見えた。リードを付けられ、どうやら散歩中らしい。近くまで行くと、プードルを連れているのがスーパーマーケットの店員であることが判った。店員が着ている黒いエプロンには、胸のところにゴシック体で「スーパーマーケット」と書いてある。
二匹のアーモンドプードルは、存在を認め合うと、互いに近寄ろうとした。私が抱いているアーモンドプードルは身を乗り出し、散歩中のアーモンドプードルは後脚だけで立とうとしている。私がしゃがんでアーモンドプードルを地面に下ろすと、二匹のアーモンドプードルは互いに全身のにおいをくんくんと確かめ合った。においを嗅がれるたびにアーモンドプードルの香りは増した。まるで相手よりも自分のほうがより優れたアーモンドプードルなのだと主張しているかのようであった。
「ほらほら、もうそのくらいにしておかないと。町中が香ばしくなってしまうよ。」
そう言って店員が二匹の仲裁に入ったので、私はアーモンドプードルをふたたび抱きかかえ、店員に挨拶をしてその場を去った。辺りにはアーモンドの甘い香りが立ち込めていた。
帰宅すると、私はまず冷蔵庫からバターを取り出し、キッチンに置いた。室温に戻すためだ。
バターが室温に戻るまでの間、アーモンドプードルに家のなかを見せて周った。「ここがキッチンです」「ここがトイレです」と私が説明すると、アーモンドプードルはおとなしく聞いている。ただお風呂だけは気に入らなかったようで、か細い悲鳴をあげてリビングの方へ走り去ってしまった。アーモンドプードルに湿気は大敵だったのかもしれない。
申し訳ないことをしたと思いながら、専門店でもらったフードをお皿に出してアーモンドプードルにすすめると、しっぽを振って食べ始める。「お忙しいところ来ていただいて、悪いねえ」「クッキーができたらお家に帰ろうねえ」と話しかけると、アーモンドプードルはいちいち顔を上げて、溌剌とした表情をこちらに向けた。
柔らかくなったバター、砂糖、卵、小麦粉をボウルの中で混ぜる。やはり小麦粉の量を減らすと、生地はまとまりにくくなるらしい。どれだけ混ぜても、象牙色の生地はいつまでもべたべたとしている。
キッチンに立つ私の足元に、アーモンドプードルがやって来る。アーモンドプードルは舌を出し、何か言いたいことがありそうな目で私を見上げている。
しゃがんでボウルの中身をアーモンドプードルに見せると、アーモンドプードルはしっぽを振ってボウルの中を覗き、アーモンドの強い香りを発し始めた。アーモンドの香りを浴びた生地は少しずつ固まり、手で捏ねれられるくらいにまでまとまった。
同じようにココアパウダー入りの黒い生地も仕上げる。ココアパウダーがアーモンドプードルの口に入ってしまうのは良くない気がして、注意しながらボウルを見せる。しかし私の心配をよそに、アーモンドプードルはただお行儀良くアーモンドの香りを発することに専念している。
それぞれの生地を冷蔵庫で休ませ、とうとう市松模様作りに取りかかる。白の生地と黒の生地を順番に重ね、それらを棒状にまとめる。冷蔵庫で冷やしてからナイフで切ると、断面は詩集の挿絵と同じく、きりりとしたチェス盤のようである。
オーブンのなかで規則正しく並ぶ白と黒は、さながら大きなチェス盤であった。アーモンドプードルはさきほどの仕事に疲れたのか、おもちゃのぬいぐるみをかかえてクッションの上で眠っている。私も慣れないことをして疲れたのか、なんだか眠いような気がして、ソファに横たわる。
目が覚めると、部屋のなかはすっかり甘い香りで満たされていた。クッキーが焼けたのだろうとキッチンへ向かい、オーブンを開けると、まだ温かい天板には大きなチェス盤が一つ、載っている。両手で掴んで引き出してみると、オーブンの奥で白黒の駒ががらがらと倒れる音がした。
私がチェス盤をしげしげと眺めていると、アーモンドプードルがキッチンへやって来た。
「アーモンドプードルよ。チェス盤ができてしまった。」
私にそう言われ、アーモンドプードルはなんだか得意げに私を見つめている。
残念なことに、私はチェスの指し方を知らない。図書館に行けば、チェスの本があるだろうか。
私はチェス盤をキッチンに置き、ふたたびアーモンドプードルを胸の前に抱いて、家を出た。