大月ユリコ『お風呂の大野さん』『少女譚』を、恵文社一乗寺店さんで取り扱っていただけることになりました。 いずれも今年1月の文フリで販売したものと同じです。 リトルプレスのコーナーを探してみてくださいね。
小糠雨の住宅街を歩いていた。暗灰色の雲が空の低いところに立ち込めている。時々、自身の重さに耐えきれずに落ちてきた雲が、石綿のようにアスファルトに転がっている。 出勤しようと家を出たのに、今日はいくら歩いても住宅街を抜けられない。細かな雨粒を浴び続けた私のスーツは、一層黒さを増し、一段と重くなっていた。 私はある建物の前で足を止めた。住宅街に不釣り合いなその建物は、何かの店舗のように見える。外壁はベージュのモルタルで、入口の扉の上には創英角ポップ体のカタカナ六文字、
文学フリマ京都8に出店します。 開催日時は2024年1月14日(日)、11:00~16:00。 場所は京都市勧業館みやこめっせ1F、第二展示場。 大月ユリコのブースは、いー51です。 『少女譚』『お風呂の大野さん』『こんばんは 眠りの森』を持って行きます。 昨年アナムネ展で展示させてもらったケーキメラちゃんたちも、ブースで展示する予定です。 お気軽にお立ち寄りくださいね。 それでは明日、文フリ会場で……。
レストランで食事をしている。私の左には母が、左前には父が座り、正面には婚約者が座っている。今日は両親に彼のことを紹介する日だったな、と私は思い出す。父も母も、すっかり彼のことを気に入ったようで、三人は打ち解けて楽しそうに談笑している。 誰だろう、と私は思う。目の前に座る細身の男を、私は知らない。 確かなことは、私には結婚する予定の人がいるということ、そしてそれはこの男ではないということ。けれど、本当は誰と結婚しようとしていたのか、少しも思い出すことができない。愛し
静かな秋の陽射が、天井まで届く背の高いガラス窓から図書館のなかへ降り注ぐ。私は一冊の詩集を、本棚の傍の小さな椅子に腰掛けて読んでいる。『さいごのグランマニエ』と題されたその詩集は、お菓子をテーマにした詩を編んだものである。 クッキーの詩を読みながら、ところでクッキーってどうやって作るんだろう、と私は思った。特にこの挿絵にあるような、白と黒の市松模様のクッキー。白も黒も互いに入り交じることなく、チェス盤のように毅然としている。 思案しながらページをめくると、そこには
夜行バスは徐にカーブを描き、停車する。音も無く灯された車内灯は、僅かな明かりではあったものの、先刻まで暗い車内で夢と現とを漂っていた女の網膜を喰い破るには充分であった。 女は薄らと目を開けて、考える。 目的地に到着したのだろうか? 否、サービスエリアでの途中休憩と言ったところだろう。 折り畳み式携帯電話の画面には、くっきりと「2:03」と時刻が表示されていた。 眠りこける乗客たちの合間を縫ってバスから降りようとすると、乗降口には「出発時刻は、2時25分です
十代の頃、私はこの島で暮らしていた。それは遠い昔の話である。 私が島を出てからも、家族は暫くこの島に住み続けていたから、何かと訪れることはあった。けれども今では家族も皆引っ越してしまったから、島を訪れる用事はもはや無い。もう二度と訪れることは無いであろうと思っていたこの島を再び訪れることになったのは、何かの手違いで島の役所に書類を提出する羽目になったためだ。役所を後にした私は、朧げな記憶を辿ってバスのチケットセンターへ向かっていた。これから港行きのバスに乗って、港から
薄い海水を掻き分けながら、海面に浮かぶレールの上をトラムは行く。藍色の水面は、水平線に頭を覗かせた陽の光を受け、僅かに白み始めている。 唯一の乗客である女は、がらんどうの車内を見渡して、再び目を瞑った。いつもは乗客など人っ子ひとりいないであろうこの運行便に彼女が乗ったことに、理由は無かった。強いて言うならば、彼女は昨夜、一睡もできなかったのである。眠ることのできない重い躰を寝床から起こし、どうにかして苦しみから逃れようと外に出た彼女の目の前に偶々停車したのが、このト
マチネとソワレは双子の球体関節人形であった。人形と言っても、ふたりは神様に愛された人形だったから、独りでに動くことができた。 マチネとソワレは町の仕立て屋であった。毎朝、日が昇ると、ソワレは寝床に入り、マチネが起き出して仕事を始める。日が沈むと、マチネが寝床に入る代わりに、ソワレが起き出して仕事を始める。 マチネとソワレはともに少年であり、少女であった。ふたりとも、艶やかな髪をおかっぱに切りそろえ、白いブラウスに膝丈の黒いコーデュロイのズボンをサスペンダーで吊っていた。 マチ
学校の三階の女子トイレには、幽霊がいるらしい。 夜中の三時に、三階のトイレの、奥から三番目のドアを三回ノックすると、「遊びましょ」という女の子の声が聞こえる。その声に返事をしてしまうと、あの世へ連れて行かれるらしい。どこの小学校にもありそうな怪談話である。 小学五年生だった加奈は、この手の怪談話を頭から信じるほどにはもう幼くなかった。低学年の頃は「三階のトイレにだけは行くまい」と決めていた加奈も、おとなに近づくにつれ、それがこども騙しのフィクションなのだということに気づいてい
あれ、篠原さん? と、後ろから声をかけてきた彼女は、振り向いた私の顔をたっぷり一秒間眺めてから、人違いでした、ごめんなさいと詫びた。 だって、あんまりそっくりだったので。 彼女は今週から、この部署で働き始めた。以前は別の部署にいて、篠原さんというのはそこで働いていた同僚らしい。今度篠原さんのことご紹介しますね、本当にそっくりなんです、と彼女は言う。正直に言って興味は無かったが、興奮して彼女が言うものだから、ありがとうございますとお礼だけ言ってその話はお終いにした。 数日後
私が生まれたのは山に囲まれた小さな町で、村の真ん中には川が一本流れていた。 幼い頃、祖母に連れられて川岸を散歩していたときに、私はこんなことを尋ねた。 この川に沿ってずっと歩いて行ったら、どこにたどり着くの? 祖母は、海だよ、と答えた。 幼い私は、そのときまだ海を見たことがなかった。釈然としない私に、祖母は海の話をしてくれた。 どこまでも広がる深い青。寄せては返す波の音。川に棲んでいるのとはまた違う魚たちがいること。人魚たちも暮らしているかもしれないこと。 人魚? と私
絶対に願いを叶えてくれる神様がいるんだ。あの神社でお賽銭を投げてお参りして、絵馬に願い事を書けば必ず叶うよ。 塞ぎ込んでいた私に彼女はそう言った。 一緒に行こう、大丈夫、と言う彼女の背中を追って、私は山の中の小さな神社に辿り着いた。 言われるままに私はお賽銭を投げて、柏手を打ち、心の中で強く念じる。 どうか、あいつが苦しんで惨めに死にますように。 目を開けると、隣りで彼女がまだ祈っている。 絵馬に願い事を書いて、私たちは神社を後にした。 こんなものは気休めだと思った。神
「未来のことを考えると死んでしまうので、未来のことを考えないようにしていたら、だんだん未来のことが考えられなくなってきました。」 私がそう言うと、医者はスクリーンを見つめたまま「それでいいんじゃない?」と言った。 「でも、未来のことが考えられないと困るんです。ただ一瞬一瞬の今を生きているだけで、買い物にも行けないし食事も作れない。」 医者は私の言葉を無視して、「薬出しとくからまた来週来てね」とだけ言った。 私は一瞬一瞬の今を生きるしかなかった。やがて時間の感覚も、日付の感覚
ここが商店街だということは聞こえてくる音で想像できたが、視界がぼやけている。 雨にさらされた水彩画のように輪郭が曖昧で、何処が何の店なのか、さっぱり判らない。どうやら、眼鏡もコンタクトレンズも着けずに出てきてしまったらしい。 記憶を頼りに家まで帰るしかないだろうと思っていると、道行く人が「其処に眼鏡屋がありますよ」と言う。 示されたほうを見ると、打ちっぱなしのコンクリートの壁から老若男女の目元と鼻が生えている。それぞれの鼻のつけ根には折り畳まれたままの眼鏡がのせられて、目元は