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生きる幸せを探す旅に出て、1年が経った今。

「わたしの生きる幸せって、何だろう。」

鬱期の中で1, 2を争うレベルでどん底を這いつくばっていた去年の6月27日。私はnoteを始めました。

あれから1年が経ったので、ここらで振り返ってみようかなと思います。

( 結局今どうなってるの?については「1年間、旅をしてみて。」以降に書いています。)

 

全部が全部、嫌いだった。

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どん底にいた当時の私は、ただただ生きることが辛く、ふとしたことで涙が止まらなかったり過呼吸になったりする日々が続いていました。体も重く、ベッドから動けませんでした。

「過去の自分も、今の自分も、全部、嫌いにしかなれない。」

死にたいと思っては止め、思っては止め、の繰り返しでした。

さすがにやばいぞ、と思い実家に帰ることにしました。
そして夜行バスに揺られながら思ったのが、これ。

「まだ21歳なのに、これから先もずっと人生に絶望しながら生きるのは嫌だ。」

仮に70歳くらいまで生きるとしてもあと50年ある。長い。
これまでの2.5倍やん。長いわ。
これから先50年も毎日死にたいと思って生きるのって逆にしんどいんとちゃうか。

そんなことをぐるぐる考えながら最後列の座席でひっそりと泣いていました。

実家に帰ってからは、LINEやSlackなどすべてのSNSの通知をオフにして生活していました。撮り溜めてあったテレビを観たり、永遠とYouTubeを観たり。食べて寝て。外に出るのがしんどかったので家で過ごすのが基本。

あとは、

・今まで何が自分を突き動かしていたのか
・今辛いのはなぜなのか
・何がきっかけでコップの水が溢れたのか
・どうすれば気持ちが軽くなるのか
・元気になってきたら何をしたいか

などなど、ふと思った時に思考を整理したりもしていました。その1つのアウトプットが最初のnoteです。

日々の暮らしの中にある幸せや、身の回りのものに興味を持って学ぶことの楽しさに気づけるくらい、心にゆとりを持てるようになりたい。生きることに幸せを感じ、生きていてよかったと思っていたいな、と。

これは今も変わらず思っていることですね。

(ちなみにこのnoteから2週間ほどで少し元気が出てきたので、再び関東での生活を始めました)

 

旅に出てみた。

さて、次はこの1年間のnoteをゆるっと振りかえってみます。

 

なんとなくスマホのことを書いてみたり、

 

右目用のコンタクトだけがなくなってしまったり、

 

初めて訪れた広島で平和に想いを馳せたり、

 

ごりごりの夜勤アルバイターになったり、

 

「~らしく」にとらわれない生き方っていいなって思ったり、

 

でもやっぱり無性に死にたくなる時もあったり、

 

AIESECの同期と卒業旅行に行ったり、

 

旅先で22歳を迎えたりもしました。

 

それから、私でも働けるんだっていう自信を得たり、

 

お金を稼ぐことの楽しさを知ったり、

 

ぴえんについて分析してみたり。

他にも公開できていない書きかけのnoteも含めると、この1年の自分の感情や思考の変化が目に見えるなあと。

 

1年間、旅をしてみて。

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早いですね。もう1年なのかという感じです。

去年との大きな違いは3つあり、1つ目は4年間続けたAIESECの現役生活に幕を下ろしたことです。ここじゃ収まりきらんのでまた別のnoteで深く書こうと思います。

2つ目は大学に通っていること。3年生のままかな~と思っていたのですが4年生になれていました(まあ22卒なのですが…)。なんやかんやで5年目の大学生活を送っています。

もう1つは "生きる意味が見つかった" ということです。そんな今のモットーはこちら。

Be An Artist, Be A Creator.

-  感情などを自由に表現するアーティストであり、
 社会課題解決を後押しするクリエイターでもありたい。

自分のために、大切な人のために、
まだ知らない誰かのために、自分たちが生きる社会のために、
表現し続ける人生がいいなって思っています。

 

Be An Artist.

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私は、小さい頃から歌うことや絵を描くこと、何かを演じることが好きでした。大学生になってからは社会の現状を五感で知ること、それを別の誰かに伝えること、そして自分自身が行動することに、ある種使命感を持っていました。

特に休学するまでは、組織のために社会のために動くことが1番偉くて、将来社会に出て働くときもそれを体現できる働き方をするんだろうなと漠然と考えていたし、自分の感情を自由に表現することはいつの間にか選択肢から消えていたと思います。

でも適応障害になってから、「なんか違う」と。

社会のために行動し続ける人生だけだったら、またどこかで使命感や責任感に押しつぶされて、どん底に戻りそう。心にゆとりがないとダメなままだ

そんなことを考えるようになりました。

 

そして1番の転機が訪れたのが去年の9月。
過去の失敗と責任に押しつぶされていた鬱期の真っ最中です。

全てに無気力になっていた当時、何気なくアニメを観ていました。そこで思ったのが、

「こんな風に全力で何かを表現してみたいな。」

ということでした。それまでコップの水をこぼすまいと感情の起伏がないように過ごしていた私にとって、感情を表現したりすることはめちゃくちゃエネルギーを使うこと(今も)。

だけどそれに気づいていたからこそ、表現の塊である演技や、その中でも声だけで感情などを表現することに憧れを覚え、素直に声優っていう仕事はすごくかっこいいなと感じました。

「これが私の歩みたいもう1つの人生だ。」
「やるからにはその道を極めて、胸を張ってプロと名乗りたい。」

そんな直感と思想が相まって、
「プロの声優として、お金を稼げるようになろう」
という結論に至りました。

しかし演技をまともに習ったことがなかったので、独学ではなく養成所で学んでプロになろうと決めました。昨年末、無事入所試験に合格して現在養成所に通っています。ちなみに今は発声など基礎の基礎から学んでいるのですがめちゃくちゃ楽しいです。この辺りのまだまだ長くなりそうなので、これまた詳しい話は別のnoteに書こうと思います。

ひとまず、ここまでがアーティストとして生きようと決めた背景です。

 

Be A Creator.

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そして、アーティストとともに歩みたい人生が、クリエイターです。特に社会課題解決を目的にした広告などに携わりたいと思っています。

そのベースにあるのは、やはり4年間活動したAIESECでの経験ですね。ここではそれに加えて広告に携わりたいと思った理由を書いていきます。

・AIESECとは?
・4年間の活動で学んだこと
・私を突き動かす言葉
・なんで広告?

 

▼AIESEC(アイセック)とは?

《 Vision 》
Peace & Fulfillment of Humankind’s Potential (P&F)

私たちは, 平和で人々の可能性が最大限発揮された社会の実現を目指します.

AIESECは、第二次世界大戦後の1948年から70年以上この理念を持って活動しています。「二度とこのような悲劇を起こしてはならない」と、平和を強く願う7人の若者から始まったこの組織は、今では世界126の国と地域に広がって約70,000人の現役メンバーが活動するほどに大きくなりました。

そして、 若者の力を信じ、彼らがリーダーシップ育んだり発揮したり経験を提供するために、海外インターンシップの運営を行っています


▼4年間の活動で学んだこと

そんなAIESECで4年間過ごして学んだのは、同じ目的のために1人1人がリーダーシップを持って行動すれば、社会は変えられる」ということ。

We Are A Youth Leadership Movement.

これは、世界中にいる70,000人の現役メンバーの合言葉のようなもので、活動の中で何度も私の支えになった言葉です。

目指すものが同じなら、違いを乗り越えて手を取り合える
人種も国籍も年齢も性別も関係ない。領域も越えていける。
1人だけなら変わらないかもしれないけど、同じ志を持った人が集まり行動することで、それが大きな力になる

全部AIESECで実感したからこそ、同じ目的のために1人1人がリーダーシップを持って行動すれば、社会は変えられると信じています。

最近だと  #検察庁法改正案に抗議します が良い例かなと。1人が声をあげ、それに共感して応援する人がどんどん出てきて、あの規模のオンラインデモになっていきました。


▼私を突き動かす言葉

Once an AIESECer, Forever an AIESECer.

そして、引退後の私を持ち上げてくれたのがこの言葉。

現役は引退しても私は1人のAIESECerであり、AIESECのVisionが大好きだからこそ、自分のできることで社会を良くするために声をあげ、行動し続けられる人でありたいな、と。

生きづらさを抱える人をなくしたい。
前に進みたいと思っている人の背中を押したい。
1人1人が人生を全うできる社会を作っていきたい。

社会はまだまだ色んな生きづらさで溢れているし、絶望することもたくさんあります。だけど、私は「あ~この人生で良かったな」って死んでいきたいし、今の社会にただ絶望しながら生きていくのは嫌です。そして小さな声を上げることの大切さも知っています。

だからやっぱり、声を上げて行動していこうと思うのです。

  

▼なんで広告?

理由はとってもシンプルで、「広告には夢と可能性がある」「クリエイティブディレクター(CD)ってかっこいいな」と思ったからです。

広告とは、そのビジュアルやコピーが、誰かの "知るきっかけ""新たな気づき" になったり、 "一歩踏み出す勇気" になったりするものだと思っています。そう考えるとやっぱり広告って、夢と可能性があるなって。

 

そして、クリエイティブディレクター(広告の職種の1つ)に興味を持ったのは、牧野さんのnoteの1節。

CDの仕事は、そのような大局の方向性を決めることから、細部の「クリエイティブ」を見ることも含まれており、本来、全ての制作物はCDの目を通ってから世にでるべき、が前提となっている。

言うまでもなく、それらを高次元で行うのはとても難しい。社会全体の把握、課題の明確な理解、美の追求とステークホルダーへの説得力、反対があっても貫ける強い意志とリーダーシップ。それらを持ち合わせて初めてCDとなれる。

直感的に、
「めちゃくちゃ難しそうだけど、面白そう」
「社会や人にとことん向き合う中で、圧倒的に自分が試され続ける仕事って最高なのでは?」
と思ってわくわくしました(単純)。

 

はい、というわけで長くなりましたがAIESECのくだりからまとめるとこんな感じです。

・自分のできることで社会を良くするために声をあげ、行動し続けられる人でありたいと思った (リーダーシップ!)
・広告に夢と可能性を感じた
・社会や人にとことん向き合う中で自分を試し続ける仕事がしたいと思った

だから、社会課題解決を目的にした広告などに携わるクリエイターでありたいなと。

 

さいごに。

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まずはここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。自分でもびっくりの長さになってしまいました。あとは〆の言葉だけなのでもう少しお付き合いください。

さてさて。

この1年間で生きる上で生きる意味が見つかったり、ありたい姿がクリアになったりしてきました。また、そのおかげで今自分が何をしたらいいのかも徐々に分かってきたし、行動し始めることもできています。

それもあってか、どん底にいたあの頃から少しずつ調子が良くなり、今では1週間以上のひどい鬱期も来なくなっています。1年前の人生に絶望していた自分と比べるとものすごい進歩ですね。えらい。

そして、これからはプロの声優とクリエイティブディレクターになれるようにより一層日々を大切に過ごしていこうと思います。なれるかわからないし、なれたとしても両立できるか分かりません。でも、「私はなれるんだ」と自分を信じる方がいいと思うし、本気で挑戦してみないことには何も分からないなと。1度きりの人生だから挑戦あるのみです。

まあ何はともあれ、まあまだ不安定な部分はあるので、
無理しすぎないように、けど全力で。

 

Be An Artist, Be A Creator.

 

表現を通して、誰かの背中を押したり、自分自身が幸せだと胸をはれたりするような人生を歩んでいきます。

がんばるぞ。

えい、えい、おー!

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