おじいさんのお話と、桜が散ることについての感想
おじいさんが杖をついて、ゆっくりゆっくり歩いて、赤い椅子に腰掛けて、私にお話ししてくれたました。
「今日はいいおてんきですね。
この建物の前の桜も満開になりましたね。昨日ぼくはね、その桜の木のしたにあるベンチに座って、二時間くらい眺めさせて頂きました。
ちょっと先の公園まで行くとみんなブルーシートを敷いて賑やかにやっているようだけど、僕はこの一本の桜の木でお花見しようと思って。
ところで10年くらい前にこの桜の木は、切られる筈だったんです。根も枝も伸びすぎて隣のマンションから切ってくれって苦情がきて。でもこの建物の住人たちが嫌がってね、なんとか伸びすぎた所を切るだけでとどめることができたんです。でもその時はすっかり丸坊主にされてね、桜も元気が無くて。
ちっぽけな人間の都合でこんなことになっちゃったのに、一言も文句は言わずに時が経って、またこうして咲き誇っている。自然っていうのは偉大ですね。そんなことを考えながら眺めていました。
それとね、ぼくは、また来年あなたに会えるのでしょうか、なんてことも思ったりね。
それは誰にも分かりませんね。来年はあの桜の木の下にブルーシートでも敷いて、みんな誘って賑やかにやりたいです。」
おじいさんのお話をきいたあと、私も桜を見に行きました。
「ぼくは、また来年あなたにあえるのでしょうか。」
なんだかこの言葉は色々なところでよく聞きますけれど、春らしくて、心に残りました。
とくに、切られるはずだった桜と、ゆっくり歩くおじいさんが言うんだから、心に残ると言うより沁みる感じがします。
どんなに体から大きくても小さくても、偉くても偉くなくても、誰一人としてそれだけは分からないのが、この世の悲しいくらいあたたかいルールですね。
私たちはそれに対して無理に先回りする必要もないし、考えすぎる必要もないから、散っていくのを眺めるだけですよ。
でもそれってさみしいことじゃなくて、散っている瞬間を生きているんだから、それは大事なんだよなあ、きっと。って思いました。
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