ブラックな企業を見分ける知恵はブラックな教会に適用できるという考察
その昔。
よく、求人広告を見ていた時、「アットホームな職場です」
という文言とともに、
楽しそうに社員全員の集合写真が載っている、
というのがあった。
しかも、
毎週、その次も、その次の週も、
いつも募集していた。
気になる職種であったので電話をかけた。その時私は学生だったが、電話に出た方に問い合わせ、まだ学生であるということを申し出ると、態度豹変して、怒ってたというか、すごく感じ悪い対応をされた。ようは、学生の身分では募集してない、ということだったのだが。
私だったら、相手が学生だとしても、興味持ってくれてありがとうと伝え、もし優秀だったら、会って話聞いてみるとかするかもだし、少なくとも、その企業に対してマイナスなイメージを植え付けるようなことはしないかな。企業の規則で大卒以上しか雇えないのであればその旨を丁寧に説明して、よかったら、ウチの企業受けてみてね、と伝えるとか。または雇う可能性はなくても、応対が良ければ、顧客になってくれる可能性だってあるのに。
などというようなことを、若いながら思ったのである。
数年後、
私は就職し、ある会社で働いていた。
後から採用されたAさんと、仲良くなり、
Aさんが例の企業の、しかもまさに
私が問い合わせをした部署で働いていたことがあったことがわかった。
Aさんは、上司がサイアクで、耐えられなくて辞めた。新しい人を雇ってもその人のせいでどんどん辞めていく。求人がいつも出ていたのはそのせいだ、というようなことを言っていた。
ああ、やっぱり。
いつも求人をかけている企業は何かあやしいのだ、ということは、論理的に考えればわかる。
もし本当にアットホームで働きやすいならそもそも人が辞めない。
ただ、いい理由(自己都合、子育てに専念したい、とか、妊娠、出産、いい意味での転職、引越し、配偶者が転勤だからなどの理由)でやめる場合、いい企業で公募が出た時いいタイミングでゲットできたらそれはいいこと。※ただ、育休が取れないとかはそれはそれで問題だが。
だけど私の経験上、いい人間関係の会社って、公募しないで、大体コネな気がする。
さて、前置きが長くなったが、
というわけでこの話を教会に適応すると、
ホームページに、
アットホーム、とか
家族のような教会
とかあったら注意が必要だ。
なぜなら、本当にアットホームなら、アピールする必要がないではないか。そんなこと書く必要ないじゃないか。上述のブラック企業と同じである。
•教義がよく分からない、ホームページに載っていない
これも注意だと思う。
•「弟子訓練」をやたら言う
カルト化しやすい教会にあるある。
•表向きは活動的、礼拝の様子がネットで見れたりする
これも騙されやすく注意が必要。
イエス様は、奥まった部屋で祈れと言った。
何か教会の活動などをアピールするなら、それが律法主義に陥る危険を伴っていること、また表立って奉仕のできない人は、価値がないという誤解を与えないように、というようなことを牧会者は配慮するものだと思う。そういう危険性をよく考えていてやっているのなら良いのだが、
本当によく考えているのなら、
そんな簡単にネットやSNSに手を出せないと思うし、安易に投稿などもできないと思う。
また、礼拝の様子がネットで見られるというのは一見風通しの良いように見えるかもしれないが、
教会員のプライバシーに関わることや、教会内での発言等もすべて公になるのであれば、内部を守るためにも
なおさら、注意と配慮は十二分に必要であると私は思う。
少し昔にいた教会の牧師先生は、
頑なにホームページや、SNSをしようとしなかったし、今もしていない。
当時私は同牧師が、教会HPの立ち上げなどを頑なに拒否していたことに不思議でならなかったが、
でも、この牧師がそう決断していたということはある意味賢明だったのかもしれない、
と今は思う。というか、かえって最先端だと思った。
イエス様は、そんなものがなくても
必要な人をその教会に導くことができるし、
教会がネットに手をだすというのは
相当、この世の方達のほうが上手くやっているのだから、
教会は元々ネットリテラシー、ネチケットがない人が多いので、
下手に手を出すならやらないほうがいい、
という考えを持ってるクリスチャンの方に
私は会ったことがあるし、
私もそう思う。
SNSは簡単に投稿できるけど、
軽い気持ちで書いたものも、一度あげてしまえばネット上には
半永久的に残るのだから。
しかしそこまで考えている人は
どれくらいいるのかな。