祈ってるね、の読み替え

「祈ってるね」と言う言葉には、「黙れ、もうあなたの話はおしまい」、「さようなら」、または、「話長いからそろそろ切り上げるね」など別の意味が含まれていることがあると思う。

私は大学で応用言語学を勉強したが、言葉は字義どおりの意味ではなく、言葉の裏の意味で使われることが多い。
例えばわかりやすい例でいうと、こんな感じだ。

AとBの会話。
A:「ペン持ってる?」
B:「あー、えっと、、、(Bは自分の鞄の中を探す)あった、これいいよ(Aにペンを渡す)」。

ふつう日本で、「ペン持ってる?」と聞かれたら、それは字義通りの、ペンを持っているかどうかの事実確認ではなく、
「私、今ペンを使いたいんだけど、ちょっと今持っていないみたいだから、貸してくれる?」といった意味として使用されている。ここでBが大真面目に、「はい、持っています」、「いいえ、持っていません」とだけ言ったとしたら、Aとしたら「は?お前何だよ」ってなりますよね?

カルト化教会を出ざるをえなくなった直後、
上層部の人たちや、フライングモンキーのポジションの人たち数人が、探るような感じのメールをくれたのだが、あれって、偽善だよなって今は思う。

「〜〜〜だけど、私たちは祈りでつながっているから」「祈っているからね。」そういう感じの内容が来た時は「は?」と思った。ほんとにその相手が困っているとわかってて、助けたいんだったら、もっと深く、良く聞いてくれたら良かったんじゃん?むしろ聞いて欲しかったんやけど。って、思った。

この時、「祈ってる」の言葉の意味はサヨナラって意味だった、と私は感じた。

自分もやっちゃうんですけど「祈ってるね」という言葉を、安易に使うことは気をつけたいと思います。
むしろその場で一緒に祈るか、
状況によっては、祈らないで欲しいって人もいるんです。なので、祈っても差し支えないか聞いた方がいいと思うし、
神様は○○だよ、
とか言う言葉も時に「お前がダメなクリスチャンだから私が正しくしてしんぜよう」
ってやってるようにしか聞こえなくて、苦しいんだわ。
そこに愛はあるんか。

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