ドミノのひとつ
この惑星には、人間がきっと多すぎる。
減る時代に居合わせてしまったのか。そう思ってしまったが、私とて減る側、になる気など毛頭ないし、私の大切な人々も全員元気で生き残ることを毎日祈っている。
ドミノをやったことはあるだろうか。
トランプタワーでもいい。
ああいったゲームは、ある図案などを完成させさせてから、それを壊すことにカタルシスを得るものだが、ほんの少しだけ私たちのおかれている状況に似ている。ただ、今行われているそれは、肝心のルールが違う。
私たちは倒れられない。
ドミノのひとつひとつは、私たちひとりひとりだ。ピースはどんな状況で置かれるのか分からずまだ積まれていたり、または既に置かれていて、ずっと立っていたりする。
この「倒れられない」はもちろん「感染してはならない」と意味が近いが、必ずしもそれだけの意味を持たない。
ドミノはそもそも、不安定な形のものは立たせない。そうっと取り替えて、休ませることもできるし、もし、不注意で倒してしまったら周りへの影響を最小限にとどめて、おおごとになる前にやり直せばいい。
ドミノを完成させるときに、そういったありがちなハプニングを責めることはしないだろう。不和を起こしてイライラするより、連帯して気持ちよく組み立てた方が集中できるからだ。
今回、いちばん怖いのは何だろうか。それは
「知らず知らずのうちに、きれいに並んでいるドミノを勢いよく倒してしまうこと」
である、と思っている。
気をつけている人は既に痛いほど気をつけている。倒れないように、周りも傷つかないように。また、更に声をかけられる人たちにも気を配り倒れてはならないことを伝える人もいる。それに気をつけすぎて、心が倒れてしまう寸前の人もいる。
だからあまりしつこくこの話をしても、出勤せねばならずとも健康を維持していたり、ずっと長く小さい子どもと家で待機していたり、営業を自粛するのかしないのかの不安に耐えたりしている方々に申し訳なくなる。
もういっぱいいっぱいの状況でも、立ち続けている人たちがいる。それはどの土地にもたくさん存在している。人間はたくさん住んでいるのだから。
うちにいよう、ということは、なるべく多くの方が、リモートワークで済む方々が、出勤したり営業停止したりしなければならない方々の不安を少しでも軽減するためにも、元気でドミノのピースとして立ち続けるために必要なメッセージだ。
我々は現在、リアルでは集まれない。集合してはならないから、前後の人が視認できず、おおきなドミノのひとつになっている実感は薄い。
また、丁寧に完成させていくゲームは、完成直前に最も気が緩む、と思う。あと少しだ、と分かっているが故に、気が散る。息を抜いてしまう。
疲れることは理解できる。私も正直へとへとだ。既に焦燥にかられた人が、倒れてしまったことを責めたり、出勤せざるを得ない状況の方々を責めたりする声も聞こえてますます気が滅入る。
だがゴールはまだまだ遠い。私たちがゆっくり安心して倒れることができる日は、特効薬やワクチンが安定供給される日だ。
長期戦だからこそ。
息抜きが大事だと、今日くらい遠出してもいいだろう。サイクリングやツーリング、海を見たり山に行ったり、自然が多いところなら大丈夫だろう。根拠のない大丈夫、と自信。
自然が多いところにも、誰かの大切な人は住んでいる。行程の途中にも、そっとその地域のドミノを倒さないように生活している人たちがいる。
どこかにわざわざ出かけてまで、その場所のドミノを気づかないうちに全て倒すピースになりたいのだろうか。
息抜きがしたくなった頃がいちばん危ない。暖かくなり行楽の季節になり
「このくらいなら、へーきへーき」
の、基準がお花畑な人が、生きるために懸命に丁寧に立ち続けている人々のドミノをなぎ倒していく。
お花畑はこんなところを読まない。それも知っている。
2020.04.21.