選択に迷うこと

ちょっと偉そうなことを書きます

職業柄、相談を受けることが多いです。
いちばん多いのは、A or Bのオルタナティブ。
人生の岐路に立っている人の相談が多いです。

私から何かをアドバイスしたり、決めたりすることはほとんどありません。
何かを自分で決めることは、その人に許された権利であり、何より、選択肢があること自体、その人が幸せである証拠でもあり、そのことで成長することができるからです。

選択に迷ったとき、誰かに決めてもらうことは簡単ですが、それは簡単に他人に依存したり、簡単に人のせいにすることにも繋がりかねないと思うのです。
自分で選んだからこそ、自分でなんとかやり遂げようと覚悟が決められるように思います。


相談に来る人を見ていると、いろんなタイプがいます。

いろいろな人の意見を聞きたい人。
誰かに話すことで、不安を解消したい人。
話しながら自分の考えを整理している人。

いちばん多いのは、自分の決断を後押ししてほしい人。

私に決めてほしい人というのは、今までいなかったです。
結局、決めてるんですよね。
決めているけれど、自信がないから、不安だから、情報がほしい。

決められない理由の多くは、情報の不足。
それは、単純に選択肢にある事柄について、得られるfactとしての情報が少ない場合と、世間の判断や価値観のような情報が少ない場合の2つがあるようです。

たとえそれが満足に揃っていたとしても、やはり迷うということもあるようです。
客観的には明らかにAのほうがいい条件であるのに、自分の心はBに惹かれているといった場合です。
そういうのを見たとき、私はその人の人間らしさのようなものを感じて、ほっとしたりします。

自分もそうですが、選択に迷っているときというのは、視野が狭くなりがちで、短期的な利益や成果に目が行きがちです。
それ以上に、AかBかの2つしか選択できないように思い込んでいて、ほかのCやDの選択肢を見落としていることすらあります。


相談に来る人に、私から伝えることはいつも同じです。

正解はないし、きっとどちらを選んだとしても、あなたはそこで頑張れるし、きっとうまくやれる。
うまくやれなかったとしたら、またそこで新たな選択肢が出てくるはず。
この決断はあなたの人生にどれほどのインパクトを与えるのか。
長い人生のうちで、この決断はあなたの人生の何年に影響を与え続けるのか。
この決断は、あとから修復できないほど大きな意味を持つのか。


私自身、これまでもいくつもの選択をして今に至ります。
その選択が正しかったのかは、今はまだわからないし、これから先もわからないのかもしれません。

ビジネス本やhow-to本を読んで「あぁ、そうだ」という人も多いと思いますが、それはあくまで他人の体験を横から覗き見しているにすぎません。
それよりももっと大切なのは、実際に経験していくことだと思っています。

机上の学びは、経験に敵わない。

死ぬまで勉強という意味は、本を読んだりして知識を得ることはもちろんですが、体験して学ぶことだとも思います。

人生は選択の連続。
自分で選んで、自分の人生を作っていく。


あくまで個人の見解です。

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蘭
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