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工場戦士:Episode9「初めての出張」

製鉄所におけるベストプラクティス

敏夫が所属するものづくり改善部門では、日々の業務に追われながらも、社内の変化を強く感じていた。三友金属工業と大和製鉄が合併したことで、社内ではお互いの情報交流が急がれていた。特に「ベストプラクティス」というワードが流行し、異なる製鉄所同士で互いの優れた部分を学び合う動きが活発化していた。

ものづくり改善部門では、各製鉄所の設備スペックや要員数、生産性などを比較し、どこが優れているのかを分析していた。敏夫は厚板工場を担当しており、同じく桑田は製銑工場、堀江は製鋼工場、久間は薄板工場、小野田は物流工場を見ていた。

その中で、九州にある長崎製鉄所の厚板工場は、特に「合理化の鬼」として知られていた。少ない要員で高い生産性を誇り、他の製鉄所にとって模範となる存在だった。

敏夫が所属している神栖製鉄所の厚板工場も決して悪くはなかったが、生産性や設備の効率において、長崎製鉄所の方が一枚上手だと言われていた。社内では、長崎製鉄所の合理化の進め方や生産体制を参考にする動きが高まり、敏夫もその一環で長崎製鉄所との情報交換を行っていた。

しかし、この時代はまだリモート会議が普及しておらず、テレビ会議を行うには専用の機械を使う必要があった。さらに、このシステムは予約が必要で、たびたび接続が途切れるなどの不便さがあった。敏夫が所属する神栖製鉄所では、いまだに固定電話が主流であり、情報交換はスムーズには進まなかった。

何度か長崎の担当者と電話やテレビ会議を通じて話すうちに、その非効率さにお互いが苛立ちを感じ始めていた。ある日、長崎の担当者から「一度こちらに来て、厚板工場全般を見ませんか?」という打診があった。

敏夫は少し戸惑ったが、実際に設備を見ることで得られる情報は多いはずだと考え、出張を決意した。これが彼にとって初めての出張であり、期待と緊張が入り混じる気持ちでその日を待った。

早速上司の羽柴に相談をすると、「それはいい考えだ。ぜひ行ってくると良い。」と快諾してくれた。

出張の日、敏夫は早朝の便で長崎へ向かった。空港からタクシーで長崎製鉄所に向かう道中、窓から見える風景は新鮮で、遠くに見える製鉄所の煙突からは白い煙が立ち昇っていた。

「ここが長崎製鉄所か…。」敏夫はタクシーを降り、広大な製鉄所を見上げながら、自分がどれほどの責任を負っているのかを改めて感じた。

長崎製鉄所では、事前に話をしていた担当者が敏夫を出迎えた。その担当者は、同期の不破だった。久しぶりの再会に、二人は自然と笑顔になった。

「敏夫、ようこそ長崎へ。さっそく、厚板工場を見に行こうか。」不破は元気よく言い、二人で工場へと向かった。

長崎製鉄所の厚板工場は、その合理化の徹底ぶりで有名だった。少ない要員で効率的に運営されており、無駄を極力排除した生産体制が整っていた。

「ここが長崎の厚板工場か…。すごいな、不破。」敏夫は目を見張りながら、工場の規模とその緻密な運営に感心していた。

不破は誇らしげに説明を続けた。「俺たちは常に合理化を意識してるんだ。例えば、この工程では通常3人必要なところを、2人で回してる。もちろん、品質にも妥協はしてない。」

その言葉に、敏夫はさらに驚きを感じた。神栖製鉄所でも合理化を進めてはいたが、ここまで徹底した効率化は見たことがなかった。

「これが神栖でもできるようになれば…。」敏夫は心の中でそう思ったが、同時に自分の工場でもまだ改善の余地があると感じた。

長崎の夜

工場見学を終えた後、長崎製鉄所の部門長、小室が主催する飲み会が始まった。小室は佐和田大学でラグビーをやっていたという恰幅のいい人物で、その存在感に敏夫は圧倒された。

飲み会が進むにつれて、小室の発言に敏夫は度肝を抜かれた。

「合理化?そんなもん、協力会社の社長と話して、『お前のところは今年5%合理化するからな、よろしく!』で済むんだよ、ははは。」

敏夫はその言葉に驚いて目を見開いた。神栖製鉄所では、合理化の議論は慎重に進められ、協力会社との調整も時間をかけて行われる。それに対して、ここでは決断が早く、力強いが、どこか強引さも感じられた。

「これが長崎のやり方か…。全然文化が違うな。」敏夫は心の中でつぶやいた。

飲み会はさらに続き、二軒目のおかまバーへ移動した。そこでも、小室の存在感はひときわ際立っていた。

「佐藤、お前は慶洋大学の出身だったな。母校を歌え!」小室はマイクを手に取り、敏夫に渡してきた。

しかし、敏夫はとっさに母校の校歌を思い出せなかった。緊張と疲れで頭が真っ白になってしまったのだ。

「す、すみません、歌詞が…。」敏夫は戸惑いながら答えた。

小室は大笑いしながら、「本当に卒業したのか?」とからかい、そのまま自らマイクを手に取った。

「よし、俺が歌ってやるよ!こうやって歌うんだ、覚えておけ!」

小室は堂々と慶洋大学の校歌を歌い始めた。その力強い歌声に店内は一気に盛り上がり、敏夫はその場の空気に圧倒されながらも、小室の堂々とした姿に感心せざるを得なかった。

その夜、ホテルへ戻る道すがら、敏夫は不破と二人で歩きながら、飲み会での出来事を振り返っていた。

「長崎は全然違うな、不破。お前、ここでよくやってるな。」敏夫は率直に感想を述べた。

不破は笑いながら応えた。「いや、慣れればこれが普通なんだよ。敏夫もそのうち慣れるさ。」

「でもさ、やっぱりここのやり方は凄いわ。ちょっと圧倒されたよ。」敏夫は素直に感動を表現した。

「まあ、こっちも大変だけどね。でも、お前も神栖でしっかりやってんだろ?」不破は励ますように言った。

敏夫はその言葉に元気づけられながらも、自分にはまだ学ぶべきことが多いと感じた。

神栖製鉄所に戻った敏夫は、この出張で得た知識や経験を生かし、これからの業務にさらに意欲的に取り組むことを決意した。そして、いつか自分も堂々と胸を張れる存在になれるよう、日々の努力を惜しまないことを誓った。

(つづく)

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