ありがとうの幸せ
「あるお風呂屋さんでドライヤーで髪を乾かしていたら、張り紙があるんですよ。
『ドライヤーで髪の毛以外を乾かさないでください』って。
何のことだろうなあと思っていたら、隣でおじいさんが下の毛を乾かしていたんです」
「あはは。張り紙にイラストがなくてよかったですね。
それに、疑問も解決したし」
「そのとき僕、思ったんです。
人生の先輩とはいえ、大したことはしないんだな、って」
夕方、まりかはいつもの温泉施設にゆく途中、10分ほどの道のりでコウイチさんと電話で話していた。
「僕、どんなときも楽しいことを見つけよう、と思っているんです。
まりかさんも同じですよね。会ったときからそう思っていました」
「同じにおいがしましたか?」
「はい」
コウイチさん、とにかく頭の回転が早い。
ここだというツボに、こうきたかという変化球を投げ込む。
それが心地よい。
土曜の夜、たかだか100分ほどを一緒にすごして、やりとりをしてまだ4日。
何も知らないも同然だ。
なのに、何だか楽しいのだ。
まりかはいつになく、ゆっくりお風呂と岩盤浴を楽しんだ。
思えば1月のマッチングアプリスタート以来、うまくゆかないことがあると、ここにきていた。
正直なもので、心がざわついていると、ゆっくりお湯にもつかれないし、岩盤の上に寝そべっていても、殿方とのおもしろくないやりとりや、まりか自身のよけいなひとことを思い出したりしてしまう。
それが今日は、違った。
いくらでもお湯に入っていられるし、汗が滴り落ちるまでサウナに座っていられる。
さっきまでのコウイチさんとのやりとりを思い出して、くすりと笑ったり、ああこういうおだやかな時間をくれる人もいるのだなあと思ったり。
まりかよ、勘違いしてはいけない。
まだ恋は始まっていない、と心得よ。
あれこれ夢想して、暴走してはいけない。
ただ感じるままに、時間を重ねる、感謝をする、それだけよ。
「今日はいつになく、ゆっくりすごすことができました。
ありがとう」
「何のありがとう?」
「お話して、何だか心がおだやかになったから」
「ありがとう。おたがいにね」