好きだからこそ別れることもある
香りは、記憶を呼び起こす。
24歳の夏、あれは渋谷だったか新宿だったか。
1年前にヘルシンキの空港で別れた彼をふと思い出して、目の前にあるデパートに飛び込んだ。
記憶は、彼が好きだったイヴ・サンローランのJAZZの香りをまとっていた。
スパイシーで、男っぽい香りのあとに、なぜだか甘さを感じたのは、彼への未練だったのだろうか。
サンローランのスノッブなカウンターで、モノトーンのジグザグなパッケージを見つけた私は、迷うことなくクレジットカードを差し出した。
20代前半、遠距離恋愛をしていた。
いまなら地球の裏側にいたって、お金をかけずに連絡を取り合うことができるけれども、あのころの私たちをつないでいたのは、エアメールと国際電話だった。
便箋何枚なら料金はいくらとすっかり覚えてしまったから、郵便局には美しい記念切手をまとめて買いにゆき、封筒に ”BY AIR MAIL” と朱書きしてポストに落とすのが、出勤前の儀式だった。
愛おしさがあふれてあふれて、毎日、毎日、手紙を送るうちに、いったいどれがどの返事だかわからなくなった。
いよいよ話がすれ違ってしまうと、電話の登場だ。
当時、実家に住んでいた私のために、彼はたどたどしい日本語を必死で覚えてくれて、母にあいさつをしてくれた。
いくらくらいだったかは忘れちゃったけれども、新人OLのお給料には国際電話料金はやさしくなかった。
I LOVE YOU と一回言うごとに、いったいいくらかかっていたのだろうか。
長期休暇が取れると、なけなしのボーナスで格安チケットを買って、彼のところに飛んで行った。
白夜の港でビール片手に語り合ったり、真っ白に降り積もる雪の中、郊外の美術館に行ったり。
でも、ルームメイトを追い出した彼の学生寮の小さなベッドで、肌をぴったり重ねるのがいちばん幸せだった。
あのJAZZの香りを、彼の肌の下に感じながら。
地下鉄サリン事件を知ったのも、彼と抱き合っているときだったっけ。
「まりか、君の国で大変なことが起こっているよ」
と言って私を抱きしめた、長い腕を思い出す。
なぜ、彼と別れてしまったのだろうか。
一緒に暮らすために、私は婚姻ビザまで取得していたのに。
あれから二十数年、彼を思い出すたびに別れた理由をことばに乗せようと試みるが、うまくいったためしがない。
それはそうだ。
だって、私はいまも彼のことが好きなのだから。
あのころの2倍以上を生きて、わかったことがある。
それは、好きだから一緒にいられるわけではないということ。
好きすぎると、もうどうしたらいいかわからなくなって、逃げたくなることがあること。
好きだからこそ別れることもあるということ。
もしかしたら、私は彼のあと、本当にだれかを好きになったことがないのかもしれない。
24歳の夏から四半世紀以上がすぎたけれども、記憶はふいにJAZZの香りとともにやってくる。
あの香りに、もう一度包まれたいと思う。
あのJAZZの香りをまとった彼に、もう一度包まれたいと思う。
もう二度と会うこともないと、わかっているから。