まりかはまりかの幸せを 塩屋埼灯台往復400kmに思うこと
2024年の最強開運日という今日、まりかはひとり、車を走らせていた。
向かうは200km近く離れた、福島県の塩屋埼灯台だ。
全国に16ある「のぼれる灯台」を何となく追いかけていて、ここで6か所目になる。
観音埼灯台は、タカシと行ってキスをしたっけ。
やっぱり、大切なところはひとりでゆくに限る。
場所にひもづいた記憶って、なかなか消えないから。
なぜ最強開運日にひとりドライブなのかというと、これはまりかにとっての挑戦だったからだ。
躁うつ病を得て以来、とにかく知らない道を走るのが苦手。
ましてや、高速に乗って他県にゆくなんて、無理だと思い込んでいた。
それを乗り越えるためにも、のぼれる灯台という目的があるのだから、行ってみようと思った。
何より、まりかの休みはまりかのもの。
だれかの世話で終わるものではないことを、思い出したいのだ。
首都高を抜けるのはおっかないけど、地方の高速は車線変更もそんなに大変ではないから、常磐道は思いのほかすいすい運転できた。
事前に何度もGoogleマップを見てはいたけれども、不安はあった。
でも、カーナビに導かれながら3時間半、無事に塩屋埼灯台に到着した。
達成感に満たされる。
まりかは、ひとりで運転してきたのだ。
駐車場を見落として、Uターンしたのは内緒。
これだけで満足してしまったのだけれども、せっかくの最強海運日。
御朱印帳も持ってきたしと、高速で2時間ほど戻り、大洗磯前神社へ。
御朱印帳なんて、と思っていたけれども、はじめてみるとおまいりしたときの気持ちまで綴られるようで、しみじみ振り返ってみたりする。
そのあと、前から気になっていた鉾田の「パティスリー・ル・フカサク」へ。
メロン農園がやっているカフェで、メロンのタルトを。
今日も娘のチヒロが、仕事を辞める、私にはもう生きる資格がないと、さかんにLINEを送ってきた。
でも、これはチヒロの人生。
うまくいってもゆかなくても、母親のまりかのせいではない。
もちろん、頼ってきたらできるだけのことはするし、話も聞く。
でも、まりかの気持ちすべてを持ってゆかれるような、これまでの向き合い方はやめることにした。
チヒロが生きるも死ぬも、彼女の人生だから。
チヒロはきっと、いえ絶対に、自分で幸せな人生を掴むことができると信じているから。
口うるさく言ってしまうのは、結局子どもを信じていないからだとようやく、気づいた。
根拠はないけれども、チヒロなら大丈夫。
何をもって大丈夫とするかも、人によって違うけれども。
さくらまりかとして立つ。
チヒロはチヒロの幸せを生きる。
これが、2024年最強開運日の願いだ。
往復約400kmを走り切って、まりかはこの9年で失った自信を少し、取り戻したような気がした。
自分のことだけを考えて、自分を休める。
まりかの人生はまりかのもの。
だれにもわずらわされない。
まりかはまりかの幸せを生きるのだ。