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虫合わせ【ショートショート】

 時計は夜の十時を過ぎていた。いつものように公園にあるモルタル製の山のてっぺんで発泡酒を飲み干すと、スマートフォンにメッセージが浮かび上がった。
「もう、いい加減にしてくれ」  
 姉からのメッセージは金を無心するものだった。四十五歳の時に離婚して以来、実家に住む様になった姉はどこかおかしくなっていた。真面目な性格で家事も仕事にも熱心で、物事がうまくいかない時は自分の努力が足りなかったせいだと酷く落ち込んだ。結婚相手にはそれが重荷になったのかもしれない。  
 学生だった頃、優等生過ぎる姉を鬱陶しく思っていた過去を考えると、どんな結婚生活だったか想像出来る気がした。悪意なく正論で相手を追い込み傷つける姉には、愛した人から拒絶された理由が理解できなかっただろう。気持ちが落ち着くのならと実家での我儘な振る舞いに皆が目を瞑っていた。まさか姉のタガが外れ、高級エステやスピリチュアルにはまるなど思いもよらなかった。  しびれを切らした姉から催促のメッセージが来る。
「あんた、病気だよ……」
 姉のメッセージは一分も経たずに次のメッセージが来る。メッセージに添付された高級な水の中身はどうせろくなものではない。こんなものにすがり、何万もかける姉の姿を思い浮かべるだけで苛立ち、胸が痛くなった。
「金なんかもうねえよ」
 両親の健康維持は自分達の義務だと言って怪しげな健康食品の支払いを求めてくる。最初は姉や両親が支払っていたが、毎月送られてくる商品の山を処理し切れずに結局、俺に泣きついて来た。  会社用のスマートフォンにもメッセージが届いた。仕事熱心な上司からの執拗なアドバイスだった。それを見るまでもなく、想像するだけで鳥肌がたった。
「まだ蚊がいるのかよ」
 パチンと腕を叩くと吸われた血が飛んだ。
「みんな消えてくれないかな」
 だけど、コンビニで買ったビーフジャーキーを齧り付きながら公園の山で悪態をつく自分も十分に惨めったらしい。
「ん? 妙だな」
 公園の出口に面した路地の手前で提灯の灯りが見えた。秋祭りの準備をしているには提灯が一つだけだなんて寂しすぎる。
「よし」  
 酔いも手伝って、好奇心が俺を突き動かした。 「おっとっと」
 山から駆け降り、電話ボックスの影から様子を窺う。
「来た!」  
 手にかごのような物を持った中年女性が迷うことなく細い路地をゆっくりと進んで行く。慌てて後を追いかけると女性は闇に溶けたかのように見えなくなっていた。自分が知る限り、このあたりは昔からある住宅街やお寺の墓地がある。提灯など関係がなく単に自宅に帰っただけなのかもしれない。
「どうする……」
 その後も、かごを持った人達が細い路地へと進んで行く。さらに数分後、黒いパーカー姿の男性がうろうろと歩き回り、意を決したように路地へ入って行った。人が消えた辺りを凝視していると、びゅうと風が吹いて何かが飛んで来た。
「危ねっ」
 足元に転がり落ちたのはプラスチック製の虫かごで、中に鈴虫が一匹入っていた。風にすっ飛ばされた割には元気そうにリーンと羽を震わせた。 「あれ?」
 高い塀に取り付けられた提灯をよく見ると、鈴虫やコオロギなどの秋の虫が描かれている。
「鈴虫か……。もしかして、虫かごを持って行ったら何か起こるのか?」
 鈴虫やコオロギなどが描かれた提灯と虫かごを交互に見た。
「そんなものを持って行ったら、今の奴みたいに暗闇に捕まって延々と彷徨うことになるぞ」
 鋭い声に振り向くと、ギターケースを背負った革ジャン姿の男性が、籐で編んだ虫かごを持って立っていた。
「見たことない顔だな。大学生か? だったら、なおさら帰んな」
「これでも社会人です。それよりこの先には何があるんですか?」
「なんだ、知らないで行こうとしたのか。危ないやつだな」
「危ないって? やっぱり何かの取引があるんですか?」
 男性は無遠慮に俺の顔を見た。
「何ですか?」
「あんた、夜な夜な山の上で悪口叫んでるやつだろ。ほとんど、何を言ってるか分からなかったが、顔は街灯と月明かりで案外見えるんだぞ」 「えっ。マジですか」
「マジだ。ほどほどにしないと今に通報されるぞ」
「——すみません」
 恥ずかしさのあまり、この場から逃げ去りたくなった。
「だが、これも縁かもしれないな」
「え?」
「その無鉄砲さは嫌いじゃない。一緒に連れて行ってやる。俺のことはジミーと呼んでくれ。あんたはそうだな、鈴太郎にしよう」
「えっ、鈴太郎?」
 虫かごの中で、リリーンと鈴虫が返事をするかのように鳴いた。
「あそこでは本名は使わないのさ」
「はあ。ジミーさんの虫かごには何が?」
 ジミーが不気味に笑う。
「それは、あとのお楽しみだ。おっと、スマートフォンのライトはつけるなよ」
「でも、真っ暗だし、つまずきそうです」
 あの路地の向こうに広がる暗闇に恐ろしいものが潜んでいるように思えて身震いした。
「鈴太郎君は勘がいいんだなあ。いいか? 俺達はこの提灯がある時のみ繋がる道に行こうとしている。何も見えなくて怖いのと、余計なモノを見て怖いの、どっちが良い?」
 そんなの、考えるまでもない。
「——見ない方が良いです」
 ジミーは深く頷いた。
「俺の合図があるまで歩き続けるんだ。足を止めたり、急に戻ろうとしたりするなよ」
 提灯の灯りが届かない場所へと進むと空気がひやりと冷たくなり、深い闇で足元が見えなくなった。揺れる竹の葉の向こうに三日月みたいな目が沢山あるのを見た。何者かがこちらに向かって、『新顔だな』『貧乏そうだな』と囁いた。肌寒いくらいなのに、頬に汗がたらりと流れる。そのぽたりぽたりと落ちた汗が暗い地面に吸い込まれていく。そうして声どころか呼吸すら止めてひたすら歩いていると、ジミーがピタリと足を止めた。 「着いたぞ」
 その声にぶはっと息を吐いた。 
「どうした? 息するの忘れてた? これからが本番なんだからしっかりしろよ」
「ええと、ここですか?」
 目の前には古びた公民館がぽつんと建っていた。おじいさん達が囲碁でも打ってそうなのどかさだ。
「そうだ。意外そうな顔だな。どんな場所を想像してたんだ? お化け屋敷か?」
 ジミーがニヤリと笑う。
「えっと、どんなって……」
 ジミーに図星を指されてしどろもどろになる。 「じゃあ、試しに地図アプリを使って調べてみろよ」
「いいんですか?」  
 ジミーに促され、スマートフォンで地図アプリを起動する。
「あれ?」  
 現在地を検索しても、検索画面がバグったまま動かなくなってしまった。
「分かったか? ここは普通と違う世界なんだよ」
 公民館の中へ入るまでは、単純に圏外の場所なんだろうと思っていた。
「じゃあ、入るぞ。いいな」
「は、はいっ」
 木の扉がギイイと嫌な音を立て、蜘蛛の巣が顔に絡みついた。前言撤回、全くのどかではない。  中へ一歩入るとやけに蒸し暑かった。空調が効いていないのかもしれない。長机には沢山の虫かごが並んでいた。その前では高級そうなスーツ姿の男性や着物姿の女性が扇子片手に虫かごの中を覗き込み、ヒソヒソと話をしている。
「激レアなカブト虫でも売ってるんですか?」
 ジミーに持たされた虫かごの中身もずっと気になっていた。
「虫を売っているという点では正解だ。でも殆どの客達の目的は虫合わせだがな」
「虫合わせ?」
「本来は鈴虫やコオロギなんかの鳴き声や姿の美しさを競うものなんだが、ここでは少し違う。見てみろ」
 ようやくお披露目とあって、胸がドキドキした。
「は、はい」
 虫かごの扉を少し開けて覗き込むと、ギターにそっくりな赤茶色の虫がギュイーンとギターそっくりに鳴いた。
「いい音だろ?」
 驚きのあまり声が出なかった。こんな虫は見たことがない。口が長いゾウムシに似ているけど、それよりもっと似ているのは叔父が自慢していた飴色のエレキギターだ。
「イカしてるだろ」
 褒められたのを嬉しがるみたいに虫がギュイーンと鳴いた。
「……すごい。本物みたいですね。だけど、ちょっと変わってるけど虫なんですよね?」
 ゾウムシやカブト虫のように脚は6本だ。
「虫は虫だが、しいて言えば『概念の虫』とでも言うんだろうな」 
「概念の虫?」
「読書に夢中になることを本の虫っていうだろ。これは、ギター好きにしてくれる虫なんだよ。しかも、この虫が素晴らしいのは、ただ好きになるだけじゃなくて、虫がその道で生きる力を貸してくれるんだ。俺はおかげで随分と良い夢を見た」 「はあ」
 分かるような分からないような——理解の追いつかない頭でギターの虫を見つめていると、ドアがギイイイと開いて一人の女性が入って来た。
「ジミー、海外コンサートお疲れ様。今日は珍しく若〜いご友人と一緒なのね」
 フリルのついた白いブラウスを着た大柄な女性が、虫でも見るみたいな目を向けて来た。
「タビーさん、彼は遠い親戚で——今日は社会勉強にと連れて来ました」
 ジミーが愛想の良い笑みを浮かべた。
「それはご苦労様。ところで命の次に大事なギターの虫を手放すって聞いたけど本当? 未練はないの?」
「流石、早耳ですね。ちょっと、色々ありましてね。つまんない僕の話より、タビーさんの大傑作を彼にも見せてあげて下さいよ」
 タビーと呼ばれた女性がにんまりと笑う。自慢したくて仕方がないらしい。
「かまわなくてよ」
 虫かごの中で、毛むくじゃらの白い虫が蠢いていた。これならば、ギターの虫の方がまだ虫らしい。毛むくじゃらの脚で頭のあたりを撫で回していた。それを見た瞬間、全身に鳥肌が立った。 「可愛い子猫のようでしょう。ほうら、見て。ちゃあんと可愛い耳もあるのよ」
 タビーのその一言が無ければ、俺は危うく声を上げるところだった。確かに猫の耳みたいな三角の毛が頭にくっついていた。
「ほら、ご挨拶をなさい」
 一瞬、俺に言っているのかと思って本名を言いそうになったが、その前に毛虫猫がニャーンと鳴いた。悔しいが、とても可愛らしい声だった。
「ここまで育てるのに相当時間をかけたんじゃないですか?」
 ジミーがあからさまなお世辞を言った。
「かけたのは時間だけじゃなくてよ」
 福耳にぶら下がる猫の形のイヤリングがギラリと光った。
「タビーさんは『動物愛護の虫』を使って猫達を幸せにする活動をされているんだ」
「あら、使ってるだなんて。私達は『縁』で結ばれているのよ」
 タビーが不満げに言う。
「失礼しました。『縁』は尊いですもんね」
 ジミーが深々と頭を下げた。
「タビーさんは買い取ったホテルを改修工事して保護猫の施設にしたり、保護団体に多額の寄付をなさってるんだ」
 タビーは満足げに微笑んだ。
「まあ、そんなところね。でも、まだまだやりたいことがあるから頑張ってもらわなきゃね」
 毛虫猫がぺっと毛玉を吐いた。
「この子、長毛種なのよね。短毛も欲しいわ」
 タビーは毛虫猫が吐いた毛玉をさっとハンカチに包んだ。
「もういいかしら。顔見知りがいたの。良いお見合い相手が見つかるといいわね」
  そう言ってタビーは虫かごを抱えて去って行った。
「お見合いって?」
「虫合わせの話をしたろ? 鳴き声や姿の美しさを競うって。まあ、この場合は平たく言うとトレードだ。その権利を鈴太郎君に譲ってあげようってわけだ。とはいえ、若手の会社員だし、あまりお金のかからない虫が良さそうだな」
「そんなへんてこな虫を飼うなんて——」
 ジミーが慌てて俺の口を手で塞いだ。
「静かに。愛好家を怒らせたら面倒だ。俺だって、鈴太郎君のあんな姿を見ていなければ無視したさ」
「何のことですか?」
「先週の金曜日、夜中に電話でお袋さんと口論しながら派手に転んで泣いていたじゃないか」    あの時の醜態をまさかジミーに見られていたとは、顔から火が出るとはこのことだ。
「——どうか忘れて下さい」
「あれからどうも夢見が悪くてね。でも、こうしてまた君に会えた。だから、俺の虫を譲るのは鈴太郎君だって決めたんだ」
「勝手に決められても……むしろ自分は今、悪い夢を見ている気分ですよ」
「そう言うな。ああ、これは舟木さん」
 舟木と呼ばれた頑固そうな白髪の老人が、杖をつきながらやって来た。
「やあ、景気はどうかね」
「まあ、何とかやってますよ。そういえば舟木さん、雑誌のインタビュー記事を読みましたよ」 「ああ、あれか。まあ、私のコレクションを撮影したいとしつこくてな。仕方なく受けたんだ」
 そう言う割に口元が緩んでいる。
「とても素敵なコレクションでしたよ」
「そうかね。実はバレない様にじっとさせておくのが大変だったんだ。私はそろそろ失礼するよ。今日は良い見合い相手がいなかったんでな」
 手を振って去って行く老人の高級そうなジャケットの胸に、宝石が沢山ついた虫が引っ付いていた。
「嫌味なやつなんだ。ゾウムシの身体中にラインストーンを貼り付けたみたいだろ?」
「コレクションって、やっぱり虫なんですか?」 「ああ。金に物を言わせて、無理やり取り引きしている。もはや、あれはトレードじゃないな」
 舟木が公民館を出ると、あちこちから安堵のため息が漏れた。
「何者なんです?」
「宝石ブローカーだよ。元は、綺麗な石を集める少年みたいな人だったんだが、石の虫に取り憑かれたんだな。いや、俺は違うぞ。ギターの虫に食わせてもらっていたのは確かだが、自分を見失いはしなかった」
「じゃあ、何で手放すんです?」
「これからの人生にギターが必要無くなったんだ」
 随分と格好つけた言い回しに、若干イラッとした。
「鈴太郎君さ、そんな目で見ないでくれるか。実は結婚相手の親父さんの会社で働くことになったんだよ」
 ジミーは照れてそっぽを向いた。
「へえ、ギターより彼女を取ったってことですか」
「まあな」
 ジミーがどれほど有名なギタリストなのか分からなかったが、身を切る覚悟で虫を手放すのかもしれない。
「あのお、そのギターの虫を譲ってもらえるって本当ですか?」
 紺色のシャツワンピースを着た女性が、小さな虫かごを持ってやって来た。
「キラと申します」
 ジミーがタビーにした様に俺のことも紹介する。
「よろしく、鈴太郎さん」
「はあ、でも、僕は本当に見学だけで……」
「鈴太郎君、早く虫を見せてあげてくれ」
「分かりましたよ」
 キラに虫かごの中身を見せると、すぐに目を輝かせた。
「すごい! 本物のギターみたい。格好いい!」  ジミーはまるで自分が褒められたみたいに、照れまくった。
「じゃあ、君の虫も見せてくれ」
「あっ、はい。どうぞ」
 小さな虫かごの蓋を開けると、中は空っぽだった。
「もしかして、逃げちゃいましたか?」
 慌てて周りを見るが、それらしい虫は見つからない。
「いいえ、逃げてなんかいませんよ。ちゃんと中にいます。ただ、断捨離が進むうちに姿が見えづらくなってしまって……でも、月明かりの下で姿を確認しましたから間違いありません!」
 窓から外を見たが、あいにく月は雲に隠れていた。
「見えないのにいるって言われても、にわかに信じられませんけど」
「だが、虫の性質も関係しているんだ。断捨離って、欲を捨てる行為だろ? 虫自体が見えにくくなるのは当然だ」
「まあ、確かに」
 言われてみれば、キラからミニマリストの雰囲気が漂っていた。気のせいかもしれないが、少し半透明に見える時がある。
「ほら、耳をすませてみてください。虫の声がしませんか?」
 声はしないが、かすかに羽音がした。確かにそこにいるらしい。
「今の鈴太郎君にはぴったりの虫じゃないか。でも本当に手放して良いのか?」
 キラはもちろんと深く頷く。
「断捨離の虫の導きで心身共にスッキリしたら、次のステップへ進みたくなったんです」
「分かるな。そうやって、トレードしながら自分を高めていくのが虫あわせの醍醐味だからな」
 二人は力強く頷き合っている。
「きっと、幸運を引き寄せてくれますよ」
 キラが自信ありげに言う。
「だって、虫の効果は想像以上でしたもの」
 彼女は何を断捨離したのだろうか。
「断捨離の対象って物だけですか?」
「あなたを取り巻くもの全てが対象ですわ」
 キラの目があやしげに光る。
「試しに持ち帰ってみたらどうだ? 何事も経験って言うだろ」
  そこまで言われると断れなくなった。
「トレード成立だな」
 キラはジミーから譲り受けたギターを背負い、虫かごを抱える様にして公民館を出て行った。 「肩の荷が降りた。俺達もズラかろう。油断して闇に捕まるなよ」
 遠くに提灯の灯りが見えるせいか、そこまで不安にならずに済み、あっさりと路地から出られた。
「ここに来るのも最後か」
 ジミーが神社でする様にニ拍手一礼した。やはり、向こう側は神域なのかもしれない。
「俺、今までに一度もペットを飼ったことが無いんですけど」
「ペット? 俺だって無かったよ。でも、この虫は断捨離への情熱さえあれば、水も餌もいらない。楽なもんだろ」
「まあ、確かに」
「上手くいかなければトレードすれば良いし、俺みたいに誰かに譲っても良い。その虫かごさえあれば会場へ行ける」
「でも、提灯がいつかけられるか分からないんじゃ……まさか、毎日路地を観察しろと言うんですか?」
「そんなことしなくて大丈夫だ。『虫の知らせ』がきっとある」
「——なるほど」
「判断に困ったら虫に話しかけてみろ。正しい道を教えてくれる。じゃあ、達者でやれよ」 
 身軽になったジミーの背中は少し寂しげだった。
「ええと、会社を辞めるってアリかな?」  
 虫かごからリーンと涼やかな音色がした。その時、迷いは晴れ、自分の気持ちに正直に生きたいと思った。
 俺は早速、退職願いを提出すると上司がこれまで育てて来た恩がどうとか喚いていたけど気にならなかった。
 美しい虫の鳴き声を聞く為に、ありとあらゆる物を捨てた。いかに自分が物欲にまみれた生活をしていたのかが分かった。そして、厄介な人間関係の整理に意識が向くまでにそう時間がかからなかった。人数あわせに結婚式へ呼ぶような友人とは縁を切った。
 断捨離に拍車をかけたのは母の突然の病死だった。
「ちゃんと、いい水とサプリメントを飲まないからよ」
 喪服姿の姉はさめざめと泣いた。
「仕事を辞めたならこの家で一緒に暮らさない? ねえ、お父さんもテレビなんか見てないで……。あら、泣いてるの」
 見覚えのある女性が、真っ赤なワンピース姿で情熱的にギターをかき鳴らし歌っていた。やけに心に響いて自分まで泣きそうになった。
「お父さん好きみたい。知ってる?」
「……いや」
 彼女は新たな人生を歩み始めたのだ。
「何か始めたくなったな」
「なら、良い投資話があるんだけど……」
 俺の心に応じた断捨離の虫が物悲しくも美しくリーンと鳴いた。
「その前に断捨離を済ませないと」
 リーンリーンリーンリーンリーン——。
 断捨離の虫が俺の背中を押す。
 姉が不思議そうな顔で俺を見ていた。


了                      

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