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おとしぶみ

「あれ、まただ」
 南風で「みなみ」と読む喫茶店の前に、散らばったカラフルな物を足先で蹴った。昨日は定休日だったため分からないが、一昨日の閉店時はなかった。
「色画用紙か」
 箒で集めてそのままゴミ箱に捨てたのが一週間前。大した事ではないとマスターに話さなかった。
「マスター、ドアの前にこれがばら撒かれていたんですけど」
 用事で遅れてきたマスターは、ちらりと見ただけで有難うと鍵を受け取る。
「気にならないですか? 一度目は悪戯か何かだと捨てましたけど、二度目ですよ」
「気味悪い?」
「ええ」
「――おとしぶみ、だったりして」
「何ですって」
 マスターが本棚から一冊の本を差し出す。
「歳時記の本? 俳句の季語が載っている本ですよね。おとしぶみ、と――象虫科の小甲虫が櫟や楢などの葉に卵を産み筒状にしたものを路上に切り落とします。その巻き葉を落し文といいます。古人はそれを時鳥の落し文や鶯の落し文と見立て、江戸の頃には人には見られたくない文書を道端に落とし、他人に渡した――初めて聞きましたよ。あの色画用紙が落し文なんですか?」
 堂本はつまんだ紙を疑わしそうに見る。
「虫の卵が付いていて、孵化したあとだったとか言わないですよね」
「鉛筆でこすったり、あぶり出しをやってみたら」
「やっているところを見ていたんですか?」
 マスターは笑いを堪えている。
「何事もやってみることだよ」
「何、堂本君、喧嘩?」
 常連客が冷やかすようにどやどやと入ってきた。口では勝てない相手なので、ランチの注文を取るのに徹した。
 ピークが過ぎ、ほっとしたのも束の間、少年が走りこんできた。
「おじちゃん、大変。鳥がぐったりしているよ」
「おお、ゆう。鳥だって」
 マスターが少年の手に乗る小鳥を見ると、小さく首を振った。
「幼いな。ノビタキの子かな。車にでもはねられたか、元々身体が弱かったか」
 ゆうはしょんぼりしていたが、マスターに小鳥のお墓を作ろうと慰められ外へ出て行く。
「そうだった。そろそろ清水みうさんという女性が来るからその紙袋を渡してほしい。本が入っている」
 そう言い残し出て行ってしまった。
 食器を片付けていると、ちりんとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
 目鼻立ちのはっきりした美しい女性にはっとする。この辺りでは見かけない顔だ。
「お好きな席にどうぞ」
「これください」と迷いもせずにメニューを指差す。
「アイスコーヒーですね、かしこまりました」
 アイスコーヒーを運び終えしばらくして、マスターの言付けを思い出した。
「あの、失礼ですが、清水みうさんでいらっしゃいますか? マスターからこの本を返すように言付かっておりまして」
「マスターには春にこちらに越して来てから何かとお世話に」と口元に笑みを浮かべた。
「そうでしたか。お近くなんですか」
「ええ、そこの図書館の裏に。夏はとても過ごし易いし、食料も豊富でいい所ですね」 
 図書館の近くに新築でも建ったかなと思っていると、彼女はふと窓の外を見て、すっと席を立った。また来てくれるかなとにやけているとまたドアが開いた。
「すいません、表の自転車かごの本、私のだと思うんですけど」
 女性のパーカーが雨で濡れていた。
「少し先で雨にやられました。ああ本は無事です」
「あなたが清水みうさん」
「はい。勇樹、弟も今日こちらに来たそうで、ご迷惑かけてすみません。マスターに宜しくお伝えください」
 狐につままれた心地で立ち尽くしていると、雨が顔にぽつりと落ちた。
 程なくマスターは戻ってきたが、故障していたドアベルの交換や夕方の準備で話をするのが閉店後になってしまった。
「世話になった? その女性が?」
「心当たりがありますか」
「――いや」
「何で人違いだって言わなかったんでしょう――まさか、落し文の犯人?」
「あの色紙は、元々はゆうの仕業なんだ」
 町に住む鳥が、巣作りに苦労しているのを知り、手伝おうと色画用紙を切って作りかけの巣の傍に置いたらしい。
「そして鳥は巣を捨てたと。派手ですもんね、紙の色」
「ゆうと二人で片付けたが、作った量からしたら少ないそうだ。巣は図書館の近くだから、図書館の人か利用者がゴミだと思って拾ったのかもしれないな」
「そういえばその女性、図書館の裏に住んでいるって言っていましたよ」
「――あの辺りは畑ばかりで家なんてないが」
「え、それも嘘だったのでしょうか」
 もやもやした日々を過ごしていたある日、心が少し晴れる出来事が起きた。
「また、ノビタキ戻って来たみたい!」
 以前の巣の近くに新しい巣が出来た。巣の近くでノビタキの姿を頻繁に見かけるようになったと嬉しそうに勇樹が笑う。
「やっぱり落し文だったんじゃないですか」
「最初にそう言っただろう」
「今度は無事に育つと良いですね」
「そうだな」
 店先のマットを箒で撫でる。細かくなった色画用紙に交じって、栗色の小さな羽がふわりと舞った。
                       了

参考文献/別冊太陽 「日本を楽しむ暮らしの歳時記」夏 /平凡社

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