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パーフェクトな存在。

いつからか、野花が好きだと気づいた。
「こんなところに!」みたいなところに生えていて、しかもちいさな花なんてつけてたりしてるやつが、たまらなく好き。田んぼの畔や、林の地面にきょとんと咲いているやつが、たまらない。かわいいんですよ、ちっさな花が。

自然のなかに、自然に生えているさまが、見ていてうれしくなるんです。
自然のなかで自然に咲く野花や雑草が、わたしはとても好きです。


さいきん、畑をさせてもらうようになって、長年畑をやってる先輩がたからいろんなことをおしえてもらうのだけど、地表数センチの世界でくりひろげられている生命のいとなみってほんとうにうまく出来ている、と知りました。
美味しい野菜が出来る仕組み、虫が食う意味、その構成がとても効率的で、1つ1つの存在には意味があって、自然のサイクルがちゃんとまわるようになっていて、ムダなものなど、何もないのです。

むしろ、人間こそ何にもできないいきものだなぁと知る。
地球に育ててもらってるのは人間のほう。「自然」に生かさせてもらっているだけ、なのですよね。


そこかしこで目に入る野花たちを、雑草、と、
野菜を食べてしまう虫を害虫、と、
そんなふうに分類する人間がなんと自分本位だろう、、と悲しくなる。
そんなもの、人間から見た価値観、有益かどうかでの判別であって、ほんとうはその雑草や害虫が、どんなにか自然のサイクルに働きかけてくれている必要なものかを分かっていない、ということが、残念になります。

畑に生える草にはちゃんと意味があって、自然を豊かに守るために、必要な場所で、必要な草が、ちゃんと生えているんですよ。
それに合わせて虫が存在する。連携プレーになってるんです。

これまでの農業のスタイルは、すべて人間の勝手な判断でそのすばらしい構造を破壊してきていて、近年、これがまちがいだったと分かってきたそうです。いまはまだすべてを変えることが出来ないようですが、いずれ、ちゃんと自然に即した農業をしていけるといいな、とおもいます。


すべての存在には意味がある。


地上に存在するものすべてが、
じゅうぶんにステキで、存在するだけで価値があって、かわいい。
それだけでよくないか?
そう思えたら、世界がどんなに豊かさにあふれているのか、気づけるだろうにな、と思うんです。


ヘッダーの画像は「ハマゼキショウ」
北アメリカ原産で、明治中期に観賞用として輸入されたものが帰化した外来種なのだそう。
浜辺にこんなにも群生していました。砂地なのにこんなに元気に咲いてて、もうふつうにお花畑じゃないですか?かわいくてたまらないです。

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