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できないことの多さ/異国で好意を持ってくれる人とどう向き合うべきか

いままで、私はできる側の人間だった。
本から、経験から、学んだことを多少の努力をしながら実践的に運用できるタイプだった。

でも、異国に来て同じことをしようとするとそうはいかない。
そりゃそうだ。文化も違う、言葉も違う。
日本文化ベースで学んだことはほとんどなんの意味も持たない。しかも、どうすればそんな経験を積めるのかなんの検討もつかない。

私は、特に、自分の外面磨きや、他人から見えている自分の印象をコントロールすることに執着していた時期があった。
よくハブに行ったり、なんなりしていた時期のことだ。

ハブで男に声をかけられ、奢られるためにはどうすればいいのか。
私はプライドが高すぎて、尻の軽そうなバカ女としてまでは振る舞うことはできなかったけど、テキトーな男にテキトーな女として見られるような振る舞いにはどんどん慣れていった。ある程度の演技をして当たり障りのない対応をすることも覚えた。

そうして、他人から見える自分をある程度制御できるようになっても、異国の言葉、文化の中だとそうはいかない。

私はいま、丸裸にされた気分で人から向けられる淡い好意に立ち向かっている。

もし、取り返しのつかないことをしてしまったら。
相手を傷つけるようなことがあったら。

しかも、私は現状この国の言葉で自分のことを100%完璧に説明することができない。自分の持っている魅力的な部分を完璧に見せることはできないし、しかもそれが言語認識の分野に偏っているのだから、なおさらだ。
説明の過程で、いう必要のないことも言ってしまう自信があるし、お茶を濁す、受け流すなどということもできない。

親友のパートナーと初めて会った時、なかなか踏み入った話を始めない私に対して、彼はひたすら質問を投げかけてきた。それは、私が自分の中にしまっておきたい内容もあったけれど、受け流すこと、茶を濁すことができなかった私は、涙目になりながら自分の胸中を曝け出した。

最終的に、彼はそうやって自分の言葉で説明しようとする私を尊重してくれたし、労ってもくれた。

それでも、その経験は、典型的なドイツ人像に対して多少のトラウマを植えつけたし、
実際にドイツにはそうやって単刀直入な質問をしてくる人が多いと思う。

その中に自分から丸裸で飛び込んで、いったい私に何ができるのか。
人付き合いなんて特に苦手なものの一つだから、ああして人並み以上の経験を積んだのに。

余計なことを考える頭を空っぽにしたくて久しぶりにタバコを吸ったけど、
ドイツの綺麗な空気で健康になった私の肺はいつのまにかそれを受け入れられなくなったみたいだった。
体は簡単に環境に適応するけれど、考えすぎる頭はまだ馴染んでいない。


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