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おばあちゃんの死と向き合って。
おばあちゃんが危篤状態と聞きコロナ禍中に日本へ一時帰国した8月から1カ月…。
先週日本にいる家族から「無事おばあちゃんの四十九日が終わりました」と連絡がありました。
おばあちゃんは私が日本から帰る2日前、8月1日(土)4:37にこの世を去りました。80歳を越えても自転車で買い物に行き、掃除、洗濯、庭の手入れまで抜かりなくこなすほど働き者で元気があったから、きっと病気も乗り越えてくれるだろうとどこかで希望を捨てきれずにいたから、やっぱり悲しみは大きくて。
「もうおばあちゃんはいないんだ」。
そう思った瞬間自然とあふれてくる涙を堪えきれませんでした。
大変だと言いながらも幼少期の私の面倒を見てくれたこと。
共働きの両親が夜勤でいない夜に子守うたを歌ってくれたこと。
遊びに行くたびに私と妹が大好きだったおにぎりを握ってくれたこと。
一緒におばあちゃんの故郷へ旅行に連れて行ってもらったこと。
「気をつけるんだよ」と繰り返し、私の心配ばかりしてくれたこと。
……おばあちゃんのことを考えると与えてもらってばかりでした。
もっと顔を見に行けば良かった。
もっと一緒にいる時間を作れば良かった。
おばあちゃんの料理が美味しいってもっと伝えれば良かった。
もっと連絡をすれば良かった。
ハワイじゃなくて日本で結婚式をすれば良かった。
……「便りがないのが元気でいる知らせだと思っておくね」と言わせてしまうくらい、連絡もきちんとできていなかった自分に後悔。あれだけ「いつ大切な人と会えなくなるかなんてわからない」ってわかってはいるのに、家族には照れ臭さがどうしても勝ってしまうんですよね。
それでも、ハワイから一時帰国し、14日間の隔離を終えた後に6日間会いに行けて本当に良かった。6日間の間にきちんと感謝の気持ちを伝えられて良かった。おばあちゃんの誕生日を一緒に過ごせて良かった。
きっと私がハワイから帰ってくるのをずっと待っていてくれたんだなぁって思っています。
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家族から離れて外国で過ごすということは、生涯家族と一緒に過ごす時間がかなり短くなるし、死に目に立ち会えないこともあるかもしれない。
「果たしてこのまま外国で暮らすことが本当に幸せなのか?」と改めて自分に問いかけ、まだ答えは出ていないませんが、「遠くにいるからこそ存在の大事さに気づける」のではないかなぁと思いました。
近くにいるとバカな私はその大切さに気づけないんですよね。どうしても「家族」という存在が重くて、照れくささを感じてしまって…。
日本から離れ家族がすぐに会えない存在になったからこそ、日本から帰る日は「会うのは今日が最後になるかもしれない」と思うようになったからこそ、ありがたい気持ちが大きくなり、大事にできている気がします。オハナ(家族)を大事にする文化が根付いたハワイからの贈り物かもしれません。
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まだまだ寂しさからは抜けられないけど、おばあちゃんを見ながら育った私の一部はおばあちゃんのはず。
家族や周りの人のために尽くせるところ、辛くても力強く生きていくところ…そんなおばあちゃんみたいに一生懸命生きてバトンを繋いでいこう。