平成生まれの32歳が一人で相続手続きやりました②
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亡くなってからの諸々の手配
母亡き直後
病室で先生が死亡確認をした後、ちょっとだけ最後の時間をいただくことができました。鼻につける酸素チューブや心電図のケーブルが外され、しばらく病室には母と夫と私の3人だけに。
病室に駆けつけた時は流石に号泣していたのですが、ちょっとだけ落ち着きを取り戻しつつ、でも「もっとお母さんと旅行に行きたかった」等、母に話しかけたりしていました。
実はこのちょっと前に、母の人差し指を拝借しまして、スマホのロックを解除(指紋認証)、パスワードの変更をしていました。我ながらこれはファインプレーだったなと今でも思い返しています。後に母の職場の人に連絡するのにLINEを使わなくてはならなかったためです。
葬儀屋さん
ちょっと時間が経つと、看護師さんが再び病室内に来まして、葬儀屋さんをどうするかと、葬儀屋さんの一覧表を持ってきました。
私の母はもちろん終活なんかしていませんでした。なので、どうしようかと悩んでしまいました。
実は、この年に祖父母を立て続けに亡くした際にお世話になったお寺がありまして、ただ祖父母の場合は終活をちゃんとやっていたので、お寺と葬儀とお墓の契約を結んでいたのです。せっかくなら、祖父母と同じお寺でお世話になった方がいいだろうと思い、契約していないけどダメ元で緊急の連絡先へ電話をかけてみました。
私「あの、祖父母が亡くなった時にお世話になったのですが、今回母が亡くなりまして・・・。契約も何もしていないのですが、お願いすることってできますか?」
お寺「手配できるか確認してみますね。」
ちなみにこの時、12月30日の夜7時前です。がっつりド年末。まあもちろん、何かあった時のために常に電話口でスタッフの人はスタンバイしてくれていると思いますが、年末なのに本当に確認してくれるだけでもありがたいと思っていました。
そして、何分かしてお寺から連絡が。
お寺「お受けしますよ。今提携している葬儀屋さんに頼んでお迎えに上がりますのでお待ちください。」
助かったああああああああああああああああああ。
いやもう本当に、受け入れてくれなかったらどうしようと本気で考えていました。
その後、看護師さんにエンゼルケアが終わったので霊安室に案内しますと言うことで、霊安室へ。
霊安室に行くと、やっぱり悲しみが込み上げてきて泣いてしまいました。
この後、葬儀屋さんがお迎えに来てくれて、もう夜も遅いので、翌日葬儀の打ち合わせをさせてください、と言うことでこの日は解散。この時に死亡診断書も受け取りました。
私と夫は、母の荷物を持って一旦誰もいない実家へ帰ることにしました。
実家へ戻った後は、叔母(母の妹)に連絡をして、葬儀の日程がわかったらまた知らせるとお伝えしました。
そして諸々の荷物を整理して、私たち夫婦は自宅へ帰ることにしたのです。
続く。