「仕事観」ってやつになってくるもの
5月19日(日)
結葵(ゆうき)と申します。
思い出してみると、子どもの頃にも同じように親から言われてたんだよな…
4月から働き始めてあと2週間もすれば2ヶ月が過ぎることになるが、いまは実家から職場まで通っている。本当は4月下旬の時点でアパートを1部屋借りているのだが、そこでまともに生活することなく1ヶ月が過ぎようとしている。
自分自身はGW明けからそちらの部屋で暮らす気満々だったのだけれど、Amazonで注文していたはずの家具がどうも届かないので確認してみたら、クレジットカードの利用可能額が上限に達していて支払いすらできていなかった、という事実に気がついたのがちょうど1週間前である。
当然「どんだけ使ったんだよ」とツッコミを入れたくなるが、大学生になるタイミングで作った手前、あまり調子に乗って使いすぎないようにと、引き落とし金額の上限を10万円で設定してしまったツケがようやくここで回ってきたわけだ。
最初からそういう謙虚な姿勢をとり、自分を戒める態度をとったこと自体はよかったけれども、じゃあ実際、大学生のときに引き落としの上限に引っかかって買い物ができなくなったことがあるかと聞かれると、「いや、一度もなかった」と答えざるを得ない。
「あのさ、つべこべ言ってないでクレカの会社に連絡したら?」と言いたくなる気持ちを抑えて聞いてもらいたいのだけれど、金曜日と土曜日で合わせて5回電話をしたのだ。そのすべてで、「ただいま電話が混み合っております。このままお待ちいただくか、後ほどおかけ直しください」と言われてしまうのだから仕方がない。
オマケに引き落としができなかったのが原因で請求書も来るわ、職場の事務からもあれこれ手続きしてと催促されるわ、申し込み用紙の住所が免許証記載の住所じゃないと認証できないからもう1回書き直しに来てくれと言われるわで、本当に「面倒くさいことはできる限り早めに片を付けておくに越したことはない」ということを改めて学ばせてもらった。
こういう「面倒くさい以外の何ものでもないこと」を先延ばしにしてしまうと、後々凄まじい重みを背負って帰ってくる。
この重みは重くなればなるほど、尋常じゃないほどに持ち上げるのが難しくなる。持ち上げて退かすのも、はたまた蹴り飛ばすのもできやしない。障害物はまだ軽いと感じるときに、ちょっと早いかもというタイミングで処理してしまうのがちょうどよい。でないと、自分のやりたいことを存分に楽しむことができなくなる。「アレをやりたい」「コレをやってみたい」と、軽いフットワークであちこち動き回るのに障害となるのだ。これ以上に時間という命を削ってしまう後悔があるだろうか。英語で「暇つぶし」を意味する "kill the time"は、本来はこういう意味で、つまり「時間を殺す」は「時間という命をどんどん削っていく」ことに他ならないのではないか、なんて壮大なことまで思う次第である。
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