自分軸、他人軸②
前回、ざっくりとした幼少期のことを中心に思い出してみましたが、
私には幼少期を色濃く過ごした場所あります。
小学校後半~高校1年生まで通った「少年少女合唱団」です。
物心ついた時から歌が好きでした。
恥ずかしがり屋ながら、音楽で歌を歌う授業が1番好きでした。
ある時友達に、合唱団に入らないか、と紹介された時は、迷わず入団を決めました。
団の先生は、当時で50歳前後だったでしょうか。夫婦で合唱団を立ち上げ、男の先生がメインに教えていました。この先生がとにかく恐い。
上手く歌えないと怒鳴る、ゲンコツが飛ぶ、廊下に出されて合格するまで練習… ということが日常的でした。
私のように、のんびりした性格の子どもがあまり好きではないようで、ハキハキした子ども達だけをいつも褒めました。
コンサートが近づくといつにも増してピリピリとし、人格否定とも取れる言葉を浴びせられました。泣いてしまう子も沢山いました。
これに耐えられた子どもが、根性のある証であるかのように感じてしまう不思議な一体感。一種の洗脳のようだったと、今では思います。
学年が上がるにつれ、「お前たちが頼りないから、下の子たちもダメになるんだ」という類の罵倒も加わり、常に「もっと責任感を持たなくては…」という焦りを感じながら、楽しく歌うことを忘れていったように思います。リーダーシップを取るのが苦手な自分にとって、同じ学年の子達が先輩らしく振る舞う姿を見ては、「私はダメだなぁ」と感じていました。
それでも、舞台に立ちたい、やっぱり歌が好き…と、食らいつくように練習に参加しました。コンサートが終わったあとだけは、先生はいつも労ってくれました。
やがて高校に入学し、少し自分の世界が広がり、バイトなども始めた私は、
「この団体やっぱりおかしい」と強く思うようになりました。通う度に感じる違和感。特に先生に対する嫌悪感は、顔や態度に出ていたようでした。先生は、隙あらば私を責め立て、ターゲットのようになっていきました。もう私は従順ではなかったので、「こんなとこ辞めるわ」とあっさり辞めることにし、両親にも話しました。両親は「どうして相談してくれなかったの」と同情してくれましたが、最後まで変わらなかった気持ちは「歌える場所が欲しかった」ということでした。両親に「辞めていいのよ」と言われるのが悔しかったし情けなかった。そして、歌うことだけは嫌いになれなかった。
そんな場所にしがみついていたのが、私の小中学生の思い出です。
よく続けたね、と、当時の私には言ってあげたいです。
引っ込み思案だった私にも問題はあるのかもしれませんが、誰でも楽しめるのが音楽です。誰にどう思われようと、あの場所を去ったのは正解だったと思っています。
長文失礼しました。
このタイトル、まだ続きそうです…