情報社会の激流の川からいったん上がりたくて「鈍考」で「鈍く考える」を体験してみた
SNSを中心とした情報社会に疲れていませんか?
わたしは疲れています。
「情報を集める」こと自体は好きなものの、ちょっと情報が多すぎやしませんかね??
タイパ!コスパ!あれやっちゃダメ!これはやらないと損!幸せになるための法則はこれ!いま流行の副業!等々。
いやーーーーーーもうお腹いっぱい。胸焼けするよ。頭パンクするよ。
ってことで行ってきました「鈍考」。
「鈍考」は、BACH代表・ブックディレクターの幅允孝さんが主宰する私設図書室と、併設する「喫茶 芳」のこと。
こだわり強めの骨太雑誌に何回も掲載されてて、行ってみたいな~と思いつつも、予約オープンから数時間でいつもSOLD OUT。やっと争奪戦に勝って、訪問することができた。わーい。
予約の5分前になったらパスコードで扉を開錠するシステム。
90分で定員6名(1日3回の入れ替え制)だから、私含め6名で入室。
最初に簡単な説明があり、珈琲をオーダー(私はプリンもオーダーした)(食べてるの私だけだった←)して、あとは各々お好きな時間をお過ごしくださいねというスタイル。
室内の畳の上でも椅子でも、縁側でも、どこでもいいですよとのこと。
お庭の木々が素晴らしかったので、私は縁側に座ることに。
座ると「喫茶 芳」の珈琲が運ばれてきて、そっと口に運ぶと「わ…」と小さく声が出てしまう美味しさ。
帰宅後調べてみると、WEB記事に東京の「大坊珈琲店」にルーツがあると書いてあって、なるほどなあと。(大坊珈琲店に行ったことないけど、珈琲好きなら一度は耳にする伝説のお店)
珈琲をこくりと飲んでから「さて今から90分どうしようか」。
90分フルで本を読んでもいいけど、せっかく縁側が風が吹いていて心地よかったので「『何もしない』を、する」ことに。
縁側に腰を下ろして深呼吸して、目の前のお庭を堪能する。
葉っぱ同士がぶつかってサラサラいう音、風が強く吹いて木々がざざっと立てる音、虫のブーンという羽音、つま先に感じる木漏れ日…
……。
…………。
ああああああ最高の空間なのに!
手持ち無沙汰すぎて落ち着かない…!!
普段1秒でもスキがあったらスマホ、という毎日を送っているせいで、
『何もしない』が、難しい…!!
とにかく「空間を堪能することに慣れる」だけでも30分かかってしまった。情報社会の弊害、ここに極まれり。
でも30分もすると身体が空間に馴染んできて、ぼーっとしているうちに思いついたことを手帳に書き留めることができた。
思いついたことは「将来こんなことになったら面白いかも」みたいな妄想メモ。
こういうことが頭にぽこっと浮かぶのって、余白があるときだけで。
仕事したり家事したりタスクこなしたりスマホ見たりっていう目まぐるしい毎日の中では、この「ぽこっ」が起こらない。
だから縁側の木漏れ日を薄目で見つめながら、
ああ、そうだ、こういうのを求めてここに来たんだよなあ
なんてぼんやり思ったりして。
あとはずっと積読してた「ずっとやりたかったことを、やりなさい」をパラパラ読んだり。
ゆっくり時間は流れていったけど、90分なのであっという間。
でも確実に、普段過ごす90分とは濃度が違ったなあと。
「鈍考」=「鈍く、考える」
多分これからもっともっとテクノロジーが発展していくだろうけど、だからこそ逆に、この「あえて鈍く考える」ってところに重きを置く時代が来るんだろうな。
私自身、たまに「なんだかよくわからない激流の川に流されてる感覚」になるときがあって。
でも周りを見回したところで、みーんなその川にいるし、別に普通の顔してみんな流されてるから「なんか激流だけど、みんないるし、そんなもんか」って、一緒に流されてってる自分もいて。
でも過去を振り返ってみると、「いやちょっと待てよ」って、いったん川から上がったときに考えたことって、のちのち自分のためになることも多いんだよね。
ただこの情報社会で、情報をまったくシャットダウンするのは不可能だなとも思う。
だから情報は受け取りつつも、自分なりに「鈍く考える」を忘れずにいたい。
(※補足:京都観光のついでに、というにはそこそこ距離あるのでご注意を…!)
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