もしも元旦が新月だったなら
新暦的には新年あけましておめでとうございます。ですね。掃除出来てな~い、仕事納まってな~い、わちゃわちゃしたまんまだわ~(汗)と、お嘆きのあなたに朗報です。旧暦ではまだ師走です。どうぞおまけのような一か月で、ぼちぼち年を終わらせていき、春を迎えましょう。
ちなみに今年の旧暦新年(いわゆる旧正月)は、2月1日です。
陰と陽の重なり
元旦とは元日の朝のことを指します。初日の出を拝みに、詣でた方もいらっしゃるかと思います。「旦」とはまさに太陽が水平線から昇ってきた様を表しています。
旧暦的にいえば、元日とは新月のことでもあります。新月とは、太陽-月-地球と一直線に並んだ状態(ちなみに満月は、太陽-地球-月の順で一直線に並んだ状態)のことでもあります。
つまり旧暦元旦的に考えれば、太陽に向かって手を合わせるということは、その間の月にも手を合わしていることとなります。つまり陽(太陽)と陰(月)が重なっているところに、左手(陽)と右手(陰)を重ねる。まさに天人合一といった感じで、グッときますね。
「うみ」のための「こもり」
また元日が新月ということは、大晦日は必ず月は籠った状態、つまり文字通り「晦(つごもり・かい)=月籠り(つきごもり)」となります。
「日」を「氵」にすれば「海(かい)」となるように、「かい」は真っ暗な闇や冥界を表しています。地平線の下だったり、土の中だったり、子宮の中だったり。太陽も、植物、人間も、生まれる前にはそうした真っ暗な闇、つまり「籠り」があります。「海」が「うみ(生み・産み)」と読むのも、とても説得力がありますね。
中医学において冬は閉蔵の季節といって、籠るように過ごすことが冬の養生法として説かれています。それは春に芽吹くためには必要な行為であり、それはこうした万物の動きの中から得られた思考や思想がベースになっているかと思います。
旧暦が教えてくれているもの
旧暦に添って暮らすことというのは、この籠りや生み学ぶことであるようにも思います。それは頭で学ぶ(知識)というより、体感として知っていくという感じかな。終わりと始まり、死や生が繰り返される、この輪の中に自分は今生きているんだということを、暦はいつも教えてくれているように思います。
ということで、全12回に渡ってお届けしてきた「旧暦入門」今回が最終回となりました。この連載を通じて、旧暦に少しでも親しみを持ってもらえたのならな幸いです。お付き合いいただき、ありがとうございました。ではよい年の瀬を。