初めての中学受験 in 田舎。
My daughter got into a school for her entrance exam.
地元茨城県に新設されて2年目を迎えようとしている公立中高一貫校の受験日。
「行ってきま〜す!」
そう手を振り出ていった娘の後ろ姿を見送った時、色んな想いが涙となって溢れちゃった。
この2年間
親としてできたことはあまりにも少なかった。
今、後悔と、それでもできることをやってこれたという温かい想いが共存してる不思議な気持ち。
表面上を見れば、片親の私の経済力では
圧倒的に与えてあげられるものは少なかった。
塾も行かせてあげられない
体験学習もさせてあげられない
どこか旅行に連れて行ってあげることもできない
一緒に割く時間も気力も少ない
…
そんな風に『ない』に目を向ければ
とっても苦しかったと思う。
…
この私の娘との受験期を思い返すなら
もっともっと以前から思い返す時期がある。
娘が2年生の終わり。
あれは息子の高校受験前。
中学の不登校も経験したし、
私と息子の関係は最悪だった。
いや、違うな。
親子の関係が最悪だったから不登校に繋がったんだって今は思う。
子供は育てたようにしか育たない。
そう無意識でも痛感してたから旅に出た。
親子旅。
いや、親である私の修行だった。
お金をお借りして行ったアメリカ・テキサス。
馬を通して自分自身の在り方を
体感で教えてもらう宝物のような時間だった。
折しもママ英語講座をお伝えし始めていて
超・読み聞かせという家庭教育法は理解し始めていた頃。
でも、私の抱える問題は、内に秘めるものと頭で考えるものが乖離してて、私自身がそれに気づいていなかったということ。
そして、子供たちはそれに気づいてるということだった。
いくら良い教育法を知っていても、
心と頭と体がバラバラでは子供に届かない。
届くのは『お母さん本当はこう思ってるのに、なんでこう言うんだろう?』という、不信。
愛を伝えているはずなのに、
伝えれば伝えようとするほど不信になっていく悪循環。
辛かったなぁ
苦しかったなぁ
なんで?なんで?どうして?
期待とは裏腹な結果に何度打ちのめされただろう。
そんな息子との日々だった。
テキサス修行でお師匠さんから沢山大切な言葉を受け取った。
その中で娘に関して言われたこと。
『この2年を大切に。丁寧に。手をかけてあげてね。』
日本に帰ったら、娘が3年生に進級する頃だった。
ー 最後の子育て期 ー
親の影響力が真っ直ぐ届く最後の時期。
あれから超・読み聞かせで、何冊も何度もどんなジャンルでも娘と対話してきたなぁ…
一緒に本を選んで
表紙から内容を推察したり
Google先生に教わったり
フィボナッチ数列が本当か庭の植物を解体したこともあったっけ
片道40分かかるのが辛いと言って学校を休みがちになった時は
一緒に歩きながら植物辞典を片手に
夏の暑さの中も雑草見つけにはしゃいだっけ
絵本に出てくる料理を一緒に作ったら
楽しいし美味しいしで(笑)
今では家族のご飯もおやつも
買い物から片付けまで任せられる安心感がある
6年生になって、それは学校でも着実に現れてきて
満点の答案用紙が増えたり
大好きな絵画で金賞を頂いたり
夏休みの作文コンテストに選出頂いたり
運動会や学校のしおりにイラストが載ったり
何より、周りにお友達が増えて楽しそうです
そう担任の先生から聞いたり、
登校班でご一緒している子供たちのお母さんから
優しくお世話してくれてありがとう
そう見えないところの娘の様子を聞いたとき、
『あぁ 彼女はどこにいっても大丈夫だなぁ』
そう思うのです。
ー 試験の合否 ー
受験したのはとても素敵な学校です。
補欠入学でも良いから引っかかってくれ!!
心の底から祈ってます(笑)
でも、正直かなり厳しいと思う。
まだ道の途中。
花開くのはこれから。
今の時点で点数で決まる入試はハマらないのかなと思う。
有難いのは彼女の学ぶ姿勢を存分に感じられた受験期だったこと。
自分で分からないながらも考え、調べ、聞いて、自分に問いかける。
観察して経験しながら決断する。
彼女が彼女自身の生活にエネルギーを注げたことを私は私を褒めたいと思う。
なんて、最後は自画自賛になってしまった(笑)
でもその位、怒涛の4年間だったな!
家族が私自身がここまで来られたのも
全ては出会った方々と、親と兄弟と親戚と師匠と仲間たちと、
神様のお陰です。
これにて娘の受験期は終わり
次は今春、息子が晴れて家を出て自立するのを無事に見届けること
全てのお母さん、お父さんお疲れ様です
そして心からのエールを。
よし!今晩は娘の好物を作ろう!