yuracco
わたしと右足の1年間。
10月20日。 結婚記念日であり、わたしが20年前に癌の告知を受けた日でもある。 わたしは「がんサバイバー」だ。 ふ、ふはははは!言ったぞ! そうなんです、わたしサバイバーなんですよ。ビックリした? あ、ちなみにトップ画像はわたしが大変お世話になった癌研有明病院の公式キャラクター、かにこちゃんだよ!癌=Cancer=蟹! 手術やら抗がん剤やらやって、若干余命とかも意識しちゃって、生死もちゃんと彷徨っちゃって、かなり苦しい治療の末、奇跡的に再発もせずに気付けば20年が経ち
生まれて初めて「推し」ができた。 10代、20代、30代と何かを追っかけるなんて無縁の生活だったけど、今、ものすごく楽しい。もっと早く知りたかったこの感覚! 推しに会いにいくのも楽しいし、推しについて語る時間も楽しいし、推しと撮った写真を見返してニヤニヤしたりしてる。 わたしの推しは、黒井ひとみさん。 素晴らしいステージに心を掴まれてしまった。 彼女はストリッパーだ。 「ストリップって面白いなあ」とジワジワハマり始めた頃に黒井ちゃんを観て。「とんでもねえぞ!」とすぐさま夫
『ヤエー』という言葉を最近初めて知った。 バイクでツーリング中に、ライダーが対向車とすれ違う時に手を挙げる仕草を指す言葉らしい。みんなやってるから真似しよ〜、と何気なくやっていた仕草に名前がついていたことを知ってすごくびっくりした。 先日、バイクで北海道をほぼ一周してきた。 実際、運転したのは夫なのでわたしはずっと後ろに乗っていただけなんだけど。総距離2057キロ、雨の日も濃霧の日も晴天の日もずっと走り続けた。 道中、やはり夏の北海道はバイカーが多くて、特に『百名道』と呼
梅雨が明けた。 今年は「とんでもない」猛暑になる、らしい。 ここ何年かを思い返してもすでにじゅうぶん「とんでもなかった」と思うのだけど。 地球、どうなっちゃうんだろう。 パショナリーアパショナーリア『おもちゃワーカーズ』、まさか本番初日にゲリラ豪雨による会場の雨漏りで公演中止になるとは思わなかった。 開演直前に中止になったことも初めてだし、天災に遭ったのも初めてだった。積み上げてきたものが一瞬で壊されてしまう悲しみと恐怖。 いろんな人の助けを借りて、次の日から公演が再開でき
「じゃあ、せーので脱ぐ?」 銭湯の脱衣所で、女の子が二人。何やら照れ臭そうにコソコソ話していた。 彼女たちは、ほとんど何も脱いでいなかった。 カバンや帽子だけをロッカーに入れ、可愛らしいポーチに入ったお風呂グッズを傍に置いているだけだった。なるほど、確かに友人の前で裸になるという行為は一時期ものすごく恥ずかしいものだった記憶がある。体育の授業やプールの授業、修学旅行。 そんなことすっかり忘れていた。 湯上がりのわたしは、全裸でそれを見ていた。 涼んでいたのだ。 そして、服
昨年出演したゆうめい『ハートランド』が第68回岸田國士戯曲賞を受賞した。 なんとなくずっと、その日が来ることをわたしはわかっていた、気がする。 誤解なきように書かなきゃいけないと思うけど、でも、シンプルにそう思っていたからそれ以上でもそれ以下でもない。 だから、白水社の公式Xで一報を見た瞬間「だよね!」という気持ちになった。 池田くんはいつか絶対に岸田を獲る、と。 わたしはずっと思っていたのだ。 たとえ選考委員の満場一致でなくとも。上演が賛否両論であろうとも。 大体、劇作
初めて彼女を観たのは、20年前。 下北沢の駅前劇場。 舞台上で全身から凄まじいエネルギーを発していた。 最高にカッコいいと思った。 その後彼女とは、同じ劇団のメンバーとして一緒の舞台に何度も立つことになった。 わたしの20代は彼女と共にあったと言ってもいい。 彼女の名前は町田マリー。 彼女からはいろんなことを学んだ。 まったくの素人から演劇を始めたわたしが「セリフって、どうやって言ったらいいかわからない」と正直に言ったら「うーん。よく読んで、どういう気持ちか考える、とか?」
先月書いた雑記からの続き。 その後無事に第二子ちゃんは生まれ、スクスクと育っている。 (最高にかわいい)(かわいい)(かわいいしか言えない) 出産前のお手伝いから出産後のお手伝いへと形を変え、改めて堂々と当たり前のことを言うけど、育児って本当にすごいな。 生まれて9日目の赤子を抱っこしたとき、その、あまりのナマモノ感に衝撃を受けた。 こんなに頼りない生き物を生かさなきゃいけないなんて。 少しでも傷をつけたら水が溢れ出てきそうな、皮膚というより膜みたいなものに包まれた生まれた
とある人から「もうすぐ第二子を出産するんですけど、色々助けてください!泣」の声を聞き「よしきた!」とばかりにあれやこれやとお節介を焼いた約2ヶ月。 まずは第二子を迎えるためのお家の整理整頓、動線の見直し、断捨離手伝い。 さらに出産が近づいてからは、食事の準備片付けや、第一子との公園遊び、入浴の介助、入浴後の着替えや保湿手伝い、あと保育園お迎えなど。 元はと言えば、昨年の雑記に書いた通り仕事もないし、わたしにできることならなんでもやらせて!とりあえず徳積みたいから人の役に立
大変な年明けだった。 大地震、その被害は今も続いている。 こういうとき、どうして自分の家も水道も電気もいつも通りなんだろう、と思ってしまう。同じ国にいるはずなのに。テレビから流れてくる映像に実感がわかない。でもたくさんの方が寒く、辛い思いをしている現実がある。税金が正しく使われますように、と心から願う。寄付がいけないとかそういうことではなく、それはそれとして、ちゃんと国が動いてほしい。 我が家は胃腸炎でフラフラの正月だった。まず2日にわたしの調子が悪くなり、続いて4日に夫の
昨日まで知らなかった人が大切な人になる。 出会いってほんと不思議だわあ、と思わずにはいられない12月。 一夜にして『マイメン』になることもあるんだな。 神様的なものを信じている訳ではないのだけど、お導きとも言いたくなる。 実はかなり近いところにお互いいたはずなのに、出会ったのは「今」なんだ、というのが面白い。 もしかしたら何年か前だったら『マイメン』にならなかったのかもしれない。だから「今」なのかしら、と。 逆に、今だったらもっと仲良くなれたかもしれないと思う人もいて。
自分が演じる役の根っこに共通する部分を見つけた。 それは「他人のことがどうでもよくない」ということ。 慈愛、お節介、過干渉、クレーマー、お人好し、その表出の仕方に差こそあれ、根っこに通じるのはそこだと思ったのだ。 自分ではない人のことがどうしても気になってしまう、それこそがわたしの性格である。 自分以外の人が何を考えているのかが知りたい。 シンプルにその欲求が強い。 それ以上でも以下でもない、ただただ気になって仕方がないということ。 先日、生まれて初めてワークショップの
少し悩んだけどやっぱりここに記しておくのがいい気がするから、書く。 『あの夜であえたら』公演が終わって、一切の仕事の予定がなくなってしまった。 舞台も映像も、演技をするお仕事は今のところ何も入っていない。 この事実は、正直めちゃくちゃ辛かった。 だって東京国際フォーラムのホールAに立った翌日、気持ちは無職。 そんな人なかなかいないでしょう、きっと。 「誰にも必要とされていないんじゃないか?」 そう考えてしまうのも無理はない、でも絶対そんなことないんだ、いやでも、と思考が
気がついたときには、かなり「ルーティン」のある生活になっていた。 朝。 起きたらまず家事。洗濯、掃除、お風呂洗いなど。 その後、20〜30分の軽い運動。 そして、しっかり空腹になったところで遅めの朝食。 ご飯、納豆、卵、漬物、味噌汁が定番。 昔の自分から見たらまったく別人のようだと驚くだろう。 信じてももらえないかもしれない。 クラブに通って朝まで遊んで、牛丼食べてから夕方近くまで寝てた自分を思い返すと、確かに、わたしですら過去のわたしを別人のように感じる。 結婚しても
8月が終わる。 どうやら、最近はもう8月31日が夏休み最後の日ではないらしい。 とはいえ、概念の『夏休み最後の日』は誰がどう言おうと今日だ。 どうせまだしばらく暑さは続くのに、今日と明日はなんか違う。 9月が始まるのはいつも少しだけ悲しい。 わたしの一番大好きな季節が確実に終わったことになってしまうから。 今年は、海にもキャンプにも行けなかった。 でも、最高の夏だった。 出演していた舞台『ピエタ』が無事に終了した。 東京公演のあとは、愛知公演、富山公演、岐阜公演。 トー
今から20年ほど前にわたしはかなり大きな病気をして、誇張ではなく死にかけた。 「ああ、死んじゃうのかしら」とも考えたし、「絶対死にたくないな」とも思った。 そしていろいろなことが上手くいって、わたしは生きて元気に暮らしている。 同じ病気の人は、たくさん亡くなった。 ほとんど、いや全員と言っていい。 みんな死にたくないと思って、大変な治療に向き合っていた。 「元気になったら」「退院したら」「もう病院で会いたくないね」 何人ともそう言い合った。でも死んでしまう人もいた。 そ