見出し画像

水の気配

幼い頃、母に読み聞かせてもらった「人魚姫」は
母を独り占めできる唯一の時間でした。
(ひとつ上の姉がいる)
本の内容は、ほとんど入ってきていなかった気がする。

4年後に妹が生まれ、久しぶりに聞くことになった「人魚姫」。
興味がないフリをして、少し離れたところで聞いていた記憶があリます。

数年ぶりに耳に入ってくる「人魚姫」は、
ずいぶんと生々しいものになっていたのを覚えています。
(童話の世界は、けっこう残酷…)

王子様を刺すように渡されたナイフにゾッとし、
刺すところを想像してしまい固まり動けなくなる。
人魚姫が海に身を投げ、七色の泡になって消えるラストを聞いた時は、
心底ほっとして、固まった体は動かせるようになっていた。
(そんなこと、したいと思うはずがないのだから…)

私が「人魚姫」を思い出すときの記憶はこんな感じだ。

「人魚姫は王子様を刺すのだろうか?」と思った瞬間に、
刺すところをイメージしてしまうのだから、想像の世界の力は凄まじい。

勝手に走り出すイメージは加速して、
イメージと現実が絡みついて見せるのはこんなシーン↓

⇨自分の手にナイフが握られている
⇨ナイフも手も血だらけ

そりゃ固まる。
物語には力がある、のだから。

少し前になりますが「人魚」という言葉がタイトルに含まれる
素敵な本を見つけて読み、以後何度も手にする本について。

「やわらかな足で人魚は」 香月夕花さんの作品

表題作を含む短編5作。

連作ものではないのですが一冊通して「水の気配」を感じる、
というか「水の匂い」がする1冊でした。
(何度読んでも、そう感じる不思議)

雨の降る前の湿った空気
音を立てる水たまり
刈ったばかりの草に滴る青い香りの雨

読み終わるとスンスンと水の匂いを探してしまうのです。
(雨が降りそうにない快晴の日であっても)

特に「水に立つ人」というタイトルの作品は、
景色の描写が美しく印象的です。
会話の間とゆるめのテンポ、そこに差し込まれる五感で感じたものの描写。
短編作品の中で一番多く読んでいる気がします。

この本の背表紙を棚の中に見つけると安心する。
ポケットの中に入れた鍵やリップクリームに触れて、
何となくほっとする、あの気持ちに似ているかもしれません。

きっと何度も読むのだろう。
(もう何度も読んでいるけど…)
新たな感情を連れてくることもありそうです。

この記事を書いている間に「ふと」気づいたことがある。
何かしら「渇き」みたいなものを感じた時に手にして、
潤わされた感覚を得ているから「水の気配」と感じるのかな…なんて。

今日は同著「あの光」を購入しました。
読むのが楽しみでたまらない。

いいなと思ったら応援しよう!